• 日々のみ言葉 2016年2月12日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月12日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章49節~50節】

    10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
    10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。

    ◎ショートメッセージ

    《エルサレム巡礼の旅をする人々は、必ずエリコを通っていました。このエリコは、ヨシュアが陥落させたエリコではありません。新たに再建されたエリコです。旧エリコは、この近くに遺跡として存在しています。
     
     さて、主イエス様が、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていました。バルテマイは、エリコの門の近くの道ばたにおいて、彼が唯一の糧を得るための仕事、すなわち物乞いをしていたのです。
     すると、大勢の人々の足音や、様々な声がエリコの中から聞こえて来たのです。目の見えない人は、耳が人一倍以上に優れているものです。どうやら、何かが起こっていることを確信した彼は、道行く人に、「これはいったい何事ですか。」と尋ねました。

     「ナザレのイエスがお通りになるのだ。」

     それを聞いたバルテマイは大声で、
    「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めたのです。

     イエス様の回りには、十二使徒を始め、多くの弟子たちが、迫り来る群衆から、イエス様を、守り先導していました。
     また一刻も早くエルサレムに上る途中でもあったので、弟子たちは、彼を黙らせようと数人でたしなめましたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てたのです。

     その「叫び声」を聞いて、主イエス様は、歩く足を止められたのです。

    「あの人を呼んで来なさい。」

     シモン・ペテロを始め弟子たちは、困った顔をしたはずですが、イエス様が言われた以上、従う他ありませんでした。
     そして、数人でバルテマイの所に行き、彼を抱き起こしたのです。彼は、もしかしたら暴力を受けるかも知れないと、恐れたと思われます。
     それゆえ、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と弟子の一人が言ったのです。

     それを聞いたバルテマイは、上着を捨てて、立ち上がり、弟子たちに導かれながら、主イエス様の御前にやって来たのです。

     当時のユダヤ社会において、盲人は、罪人とされていました。何の仕事にも就けず、またユダヤ人の会堂(シナゴーク)には、入ることも許されず、社会から追放されていたのです。
     彼らが、唯一生きて行くために出来る仕事と言えば、大きな町の門の側に座って、行き交う人々に、「私をあわれんでください。」と頭を下げ、物乞いをすることだったのです。

    「ダビデの子のイエス様。私をあわれんでください。」

     バルテマイが叫んだこの声は、物乞いする時の声ではなく、まさに救いを求める「魂の叫び」であったのです。

    「魂の叫び」とは、真剣な祈り、真剣な願いを意味します。そしてその叫びと祈りと願いとは、必ず主イエス様の耳に届くのです。

     私たちはどれほど、そのような「真剣な祈り」を捧げているでしょうか。
     もしまだ答えを受け取っていない「祈り」がありましたら、このバルテマイのように、もう一度心の奥底から、主イエス様に向かって、「魂の叫び」を上げようではありませんか。

     バルテマイに取って唯一の財産と言えば、「上着」です。当時の上着は、単なる上着ではなく、夜寝る時には、寝具として用いました。上から下まで、長い布で作られている物でした。それを捨てて、主イエス様の所に、一目散にやって来たのです。
     まさしく、すべてを捨てて、主の御もとに来たのでした。

     主イエス様は言われました。

    『そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。(ルカの福音書14:33)』

     これは思考の変換を意味します。主イエス様に出会った者に取って、主イエス様の「十字架の贖い」の意味を知った者に取って、今まで犯して来たすべての罪を赦された者にとっては、まさしく今与えられている物すべてが、もはやその人の物ではなく、「永遠のいのち」を与えてくださった主イエス様の物なのです。そして、それを主イエス様の為に、有効に使うようにと、権限が与えられているのです。》

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