• 日々のみ言葉 2016年2月19日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月19日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章11節】

    11:11 こうして、イエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様の最後の一週間が始まりました。
     オリーブ山のふもとのベテパゲの町で、誰も乗ったことのない「ろばの子」に乗られ、エルサレムまでの神殿まで巡礼されたのです。
     大勢の人々は、弟子たちが行なったように、主イエス様が行く道先に、上着と「しゅろの葉」を敷いたのでした。
     そして、前を行く人も、後に従う人も、叫んだのです。
    「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

     これは、詩篇118篇に書かれた預言が成就した時でした。

    『ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。(詩篇118:25~118:27)』

     ルカは、その時の様子をこう書き記しています。

    『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
    「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカの福音書19:41~19:44)』

     この預言は、イエス様が十字架に架かられてから、約四十数年後に成就することになります。

     イエス様の一行は、ヘロデの第三神殿まで凱旋されました。そして宮の中に入られたとあります。
     それから「時間も遅かったので」とは、間もなく日が傾きかけて来たことを意味します。ユダヤの暦では、日没と共に新しい一日が始まります。イエス様は十二使徒と共に、エルサレムを出て、ベタニヤに向かわれました。
     そこには、イエス様の友人のマルタとマリヤの姉妹、そしてその弟ラザロがいたことは言うまでもありません。

     さて聖書には書かれてはいませんが、イエス様が乗られた「ろばの子」とその母ロバはどうなったのでしょうか。
     この時、ペテロが母ろばを、ヨハネが「ろばの子」を引いてベテパゲの町に向かったことは想像にかたくありません。なぜなら、借りだした本人たちが責任を持って返すことは、当然の成り行きだからです。

     ベテパゲの町では、持ち主が首を長くして待っていたことと思われます。あるいは、人々の「ホサナ」と言う叫び声を聞いて、イエス様に付いて行った可能性も考えられます。この持ち主が、やがて主の弟子となったかどうかは、聖書には書かれてはいません。
     それでも私は、この持ち主たちも、やがて救われたに違いないと信じたいのです。
    イエス様が乗られた「ろばの子」については、四つの福音書のすべてに書き記されています。ヨハネは短くしか書いていませんが。
     その「ろばの子」を育てた飼い主である持ち主が、やがてゼカリヤ書に書かれた預言の成就だと知ったとしたら、どうだったでしょうか。

     私は、イエス様が直接関わられた人々、特にイエス様に対して好意を持っていた人々には、復活された後に、生きておられるお姿を現わされたに違いないと確信しているのです。
     例えば、ベタニヤの姉妹であるマルタとマリヤ、そしてイエス様が蘇えらせたラザロにも。またご自身の体を墓に葬ってくれたアリマタヤのヨセフやニコデモにも。
     もちろん聖書には、書かれてはいません。あくまでも私の推測にしか過ぎませんが。

     公生涯における四度目の「過越の祭り」。その祭りを迎える最後の一週間の最初の日が終わろうとしています。
     弟子たちは、これから何が起こるのか、全く分かってはおりません。ただ日没前に、ベタニヤのマルタとマリヤとラザロの家に着いて、ゆっくりとくつろぐことを考えていたはずです。

     弟子たちだけではなく、エルサレムに取って、ユダヤ人に取って、いいえ全人類に取って、まさしく激動の一週間が始まりました。
     これから何が起こるのか、知っておられるのは、父なる神様とイエス様、そして聖霊なるお方だけでした。》

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