• 日々のみ言葉 2016年2月21日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月21日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章15節~17節】

    11:15 それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、
    11:16 また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。
    11:17 そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」

    ◎ショートメッセージ

    《この記事は、マタイそしてルカも平行記事として書き記しています。
     実は、マルコの福音書と時制が違っているのです。マルコは、主イエス様がろばの子に乗って、エルサレムに入場された次の日の出来事として書き記しています。それが本日の聖書箇所です。
     しかし、マタイとルカはその日の出来事として記載しています。

     マタイによれば、

    『そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
     すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
     こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。
     それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
     また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。(マタイの福音書21:7~21:14)』となっています。

     そしてルカによれば、
    『そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
     イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
     するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。
     イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
     エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
     「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
     宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」(ルカの福音書19:35~19:46)』となっています。

     医者ルカは出来うる限り、かなり詳しく調べてその福音書を書きました。特に、時間の経過を重んじ、ほぼ起こった出来事の順に従って正確に書き記したと言われています。 また多くの聖書学者も、ルカの時制は信頼がおけるとしています。と言うことは、エルサレムに入場されたその日に「宮清め」をなされたと見てよいでしょう。
     マルコは、シモン・ペテロの通訳者でありました。なぜならペテロはギリシャ語が話せなかったからです。ペテロのメッセージを思い出しながら、出来る限り正確に書き記したのが、「マルコによる福音書」です。ただマルコは、イエス様のなされたことを、直接その目で見ていなかったはずです。それゆえ次に福音書を書くことになったマタイは、日にちを訂正したと考えられます。そしてルカは、マルコとマタイの福音書を基に、時間の経過を考慮して福音書を書きあげたのです。

     またイエス様は、二回、宮清めをなされました。

     一回目の宮清めについてはヨハネが書き記しています。それは公生涯における最初の「過越の祭り」の訪問の時でした。

     ヨハネによりますと、

    『ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
     そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
     弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。(ヨハネの福音書2:13~2:17)』となっています。

     これは、今回のエルサレム巡礼の三年前のことにあたります。
     エルサレムの神殿礼拝は、まさしく腐敗しきっていました。祭司長や祭司たちは、いけにえの動物を売る商売人たちや両替人たちと結託していて、エルサレムに巡礼する人々から莫大な利益をむさぼっていたからです。それゆえ主イエス様は、両替人やいけにえを売る商売人たちを追い出されたのです。
     信仰が宗教になってしまった結果です。形骸化してしまった儀式だけが残っていたのです。
     私たちの信仰はどうでしょうか。もし日曜日だけがクリスチャンで、平日の六日間は、未信者と変わらない生活を送っていたとしたら、未信者と同じ考え方をしていたとしたら、私たちは本当に主イエス様の証人でしょうか。》

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