• 日々のみ言葉 2016年2月27日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月27日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章27節~28節】

    11:27 彼らはまたエルサレムに来た。イエスが宮の中を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエスのところにやって来た。
    11:28 そして、イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」

    ◎ショートメッセージ

    《この箇所は、マルコの福音書によりますと、主イエス様がエルサレムに入場された明後日となる水曜日の出来事として書かれています。
     しかし、マタイの福音書によりますと、入場された次の日、すなわち火曜日の出来事として書かれています。

     祭司長や律法学者や長老たちが、イエス様の所にやって来て、
    「何の権威によって、これらのことをしているのか。」と、問いただしました。

     まず彼らの言う「これらのこと」とは、何か、考えて見ましょう。

     マタイの福音書によりますと、

     『それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。
    「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
     また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。(マタイの福音書21:12~21:14)』となっています。

     もし、祭司長、律法学者や長老たちが、イエス様の「宮清め」だけを糾弾するならば、こうは言わなかったはずです。ただあばれるだけの暴徒にしか過ぎないからです。
     現在の日本では、日曜日の朝市や、神社のお祭りでこんなことをする人物がいたとしたら、すぐ警察官がやって来て連れて行かれます。当然、当時も同じなのです。

     ユダヤ最高の祭りは、「過越の祭り」であり、毎年数十万人の人々が世界中からエルサレムにやって来ます。そしてその象徴である神殿に訪れるのです。

     この「過越の祭り」の時には、ユダヤ人の暴動が起きやすく、ローマ軍の兵士はもちろん、また王ヘロデ・アンティパスに雇われているユダヤ兵たちも、厳重な警備にあたっていたはずです。

     そこへ、イエス様がやって来て、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された時、兵士たちが出て来て、イエス様を取り押さえようとすることは、十中八九、間違いないことです。彼らの目には、暴動の何物にも、写らないからです。

     主イエス様が、「宮清め」をなされた時、彼らはどうしていたのでしょうか。
     聖書はそのことに触れてはいません。もしかしたら兵士たちは、皆休んでいたのでしょうか。あるいは眠っていたのでしょうか。いいえ、違います。そんなことは決してありません。神殿での警備が一番厳重であったことは誰が見ても、間違いのないことなのです。

     では、なぜイエス様は、彼らにじゃまされずに、宮清めが出来たのでしょうか。
     それは、まさしく「神の権威」があったからです。兵士たちは、誰一人動けなかったのです。ただ見ているしかなかったのです。動かなかったのではありません。動けなかったのです。

     そして「宮清め」が終わると、イエス様は彼らの見ている前で、奇蹟をなされました。

    『また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。』

     この二つの出来事が、祭司長、律法学者や長老たちが言う「これらのこと」なのです。
     
    「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」

     この日から、そしてこの時からユダヤ教当局者との論争が始まりました。
     祭司長、律法学者や長老たちの根底には、イエス様を殺そうとする決意がありました。イエス様を「メシヤ」として、「キリスト」として、「救い主」として受け入れるために論争するのではなく、イエス様が「神の御子」であること、預言者ダニエルが言う「人の子」であることを否定するために、断固として立ちはだかって来たのです。

     おそらく彼らは、三年ほど前から、イエス様を知っていたはずです。なぜなら今回は、公生涯を始められてから四度目の「過越の祭り」のエルサレム訪問であるからです。そして、最初の時も、主イエス様は、しるしと奇蹟を行なわれました。
     盲人の目を開けたり、耳の聞こえない人を聞こえるようにされたり、足や手に問題がある人がいやされたり、そして悪霊を追い出されたりされたのです。こんなことが出来るのは、「神の御子」でなければ、いったい誰が行なえると言えるのでしょうか。

    「だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」

     彼らは、分かっていました。イエス様に権威を授けられたのは、神であることを。

     ユダヤ教のトップに君臨する彼らは、どうしてイエス様を信じることが出来なかったのでしょうか。しかも彼らは、一般のユダヤ人に比べて、はるかに旧約聖書を知っているにも関わらず。
     これは、今現在でも同じことが言えます。知識で知っていることと、霊で知っていること、すなわち信じていることとは、全く正反対とも言って良いほどに違います。
     哲学を専攻に勉強している人々は、「キリスト教」について、良く知っています。またその教えにも通じているとも言えるかも知れません。しかし、彼らは生きておられるまことの神である主イエス・キリストを知らないのです。もちろん会ったこともないのです。彼らの神は、十字架で死んだままなのです。しかし私たちは、知っています。このお方は、三日目によみがえられたのです。そして今も生きておられます。そして私たちを本当に愛しておられます。》

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