• 日々のみ言葉 2016年2月28日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月28日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章29節~30節】

    11:29 そこでイエスは彼らに言われた。「一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているかを、話しましょう。
    11:30 ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様と十二使徒たちの一行は、またエルサレムにやって来ました。
     受難週には、毎日朝早くベタニヤのマルタとマリヤと弟ラザロの家から、神殿にやって来ては、教えたり、病人をいやされたりされたのです。
     イエス様が宮の中を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエス様の所にやって来ました。これは、あらかじめ待ち構えていたに相違ありません。
     そして、彼らはイエス様に言いました。
     「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」

     新改訳のこの訳は、あまりにも不自然な訳だと思われます。誰がイエス様の所のやって来たのでしょうか。その筆頭には「祭司長」とあります。その次に「律法学者」「長老たち」と続くのです。この順番は、マルコの単なる思いつきや気まぐれではありません。
     ユダヤ最高議会の議員たちであったことは間違いのないことと思いますが、その中においても、列記とした序列があるのです。
     また、彼らはイエス様よりも、ユダヤ人社会においては上の立場に相当します。よって、次の訳が、日本語では妥当な訳になると思います。

    「何の権威によって、これらのことをしているのか。だれが、おまえにこれらのことをする権威を授けたのか。」

     その質問に対して、イエス様が答えられた言葉が、本日の聖書箇所になります。

     イエス様は答えられました。しかしその答えは、直接彼らの質問に答えたのではなく、いつもと同じように、質問を投げかけられたのです。

    「一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、私も、何の権威によってこれらのことをしているかを、話しましょう。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」

     この日本語訳は、とても良い訳です。なぜならイエス様は、どんな相手であったにせよ、常にていねいな対応をされておられたからです。
     
     『神が人となられた』
     創造主なるお方が、非造物となられたのです。これ以上にへりくだることがあるのでしょうか。

     イエス様の質問は、祭司長、律法学者、長老たちを悩ませることになります。

     しかもイエス様がなされた質問の答えは、すでにイエス様が与えておられるのです。
     要するに、二者択一なのです。
     ヨハネのバプテスマは、「天から来たのか」「人から出たのか」、どちらなのかと聞いておられるのですから。

     では、なぜ主イエス様は、この質問をなされたのでしょうか。
     この時から数年前のことになりますが、バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを、ユダヤの人々に授け始めた頃に、彼らはヨハネの所に人を送っているからなのです。

     ヨハネの福音書によれば、

    『ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか。」と尋ねさせた。
     彼は告白して否まず、「私はキリストではありません。」と言明した。
     また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」
     そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
     彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」
     彼らは、パリサイ人の中から遣わされたのであった。彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」(ヨハネの福音書1:19~1:25)』と書かれてあるのです。

     そして決定的なことは、彼らはバプテスマのヨハネが、神が遣わされた先駆者であることを信じなかったことなのです。

     もし彼らがイエス様の質問に、きちんと答えたのならば、イエス様は「何の権威によってこれらのことをしているのか」、きちんと話されたことは間違いありません。
     この時でさえ、主イエス様は、頑なな彼らの心に働きかけておられるのです。

     今でもイエス様は、私たちの心の扉をノックしておられます。『コンコン』と叩いておられます。しかもそれは乱暴な叩きかたではなく、優しく愛に満ちあふれた叩きかたなのです。

    『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。(ヨハネの黙示録3:20)』》

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