• 日々のみ言葉 2016年2月29日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月29日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書11章31節~33節】

    11:31 すると、彼らは、こう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったかと言うだろう。
    11:32 だからといって、人から、と言ってよいだろうか。」――彼らは群衆を恐れていたのである。というのは、人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。
    11:33 そこで彼らは、イエスに答えて、「わかりません。」と言った。そこでイエスは彼らに、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ

    《「ホザナ、ホザナ、主の御名によって来られる方に栄光あれ。」
     主イエス様が、人々の歓声の中、エルサレムに入場されてから、第三日目のことです。イエス様と十二使徒たちの一行は、またエルサレムにやって来ました。
     受難週には、毎日朝早くベタニヤのマルタとマリヤと弟ラザロの家から、神殿にやって来ては、教えたり、病人をいやされたりされておられたからです。
     イエス様が宮の中を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、イエス様の所に、ぞろぞろとやって来ました。これは、あらかじめイエス様を待ち構えていたに相違ありません。

     彼らはイエス様に言いました。
     「何の権威によって、これらのことをしているのか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのか。」

     そこでイエス様は彼らに言われました。
    「一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているかを、話しましょう。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」

     イエス様は、二者択一の質問をされたのです。この質問は彼らを大いに悩ませ、また困らせたのです。
     ここからが、本日の聖書箇所の学びとなります。

     すると、彼らは、こう言いながら、互いに論じ合ったのです。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったかと言うだろう。だからといって、人から、と言ってよいだろうか。」

     マルコは短くしか書いていませんが、祭司長、律法学者、長老たちは集まって円を囲みながら相談したに違いありません。
     「どうする。」「どのように答えるんだ。」「どっちにする。」「どちらが得か。」など。

     ここで一つの疑問が生じます。「なぜマルコは、彼らが論じ合った内容を知っていたのか。」、という疑問です。
     普通、このような時は、大声で論じ合ったりしないものです。常識的に考えますと、イエス様には聞こえないように、ひそひそ話となることは、当然なことです。

     この後も、このような疑問がマルコの福音書だけでなく、マタイ、ルカの共観福音書には出て来ます。
     考えられる答えは、ただひとつで、この時この中にいた人物のひとりあるいはふたりが、すなわちサンヘドリン議員のひとりあるいはふたりが、イエス様の「隠れた弟子」として存在していたと言うことです。

     彼らが、ニコデモやアリマタヤのヨセフのように、人々の公の前で、イエス様の弟子宣言をしたかどうかは分りかねますが、今ふうに言うならば、「スパイ」とも言うべき存在がいたと言う説明が、納得がつくと言うものです。

    「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったかと言うだろう。」

     この言葉から、彼らがバプテスマのヨハネが神から遣わされたことを、信じることも、また認めることもしなかった、と言うことは明白です。

     次に、「だからといって、人から、と言ってよいだろうか。」

     この後に、マルコはこのことについて注釈を挿入しています。すなわち、

    『彼らは群衆を恐れていたのである。というのは、人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。』

     と言うことから、バプテスマのヨハネは、すでにヘロデ王の手にかかって殺されていましたが、ユダヤにおいては、生前と同じくらいにその人気と支持は衰えていなかったことが分かります。

     そこで彼らが出した結論が、「わかりません。」だったのです。

     この答えは、一見へりくだったような感がしないでもないのですが、その真相は、バプテスマのヨハネを認めようとはしない、まさに神の御前において傲慢の何物でもない答えだったのです。そうです。彼らはしらを切ったのです。

     その答えを聞いてイエス様は言われました。
    「私も、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」

     「天から」とは、神がヨハネにバプテスマを授ける権威を与えたことを意味します。
     「人から」とは、人間がヨハネにバプテスマを授ける権威を与えたことを意味します。

     私たちは、主イエス様が、父なる神様がその権威を与えられたことを知っています。
    父なる神様は、子なる神であるイエス様に、すべての人を裁く権威をもお与えになられました。
     やがて、このお方は、「花嫁」である教会を迎えにやって来られます。
    『御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。(ヨハネの黙示録22:17)』》

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