• 日々のみ言葉 2016年3月1日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年3月1日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書12章1節~3節】

    12:1 それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
    12:2 季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。
    12:3 ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。」

    ◎ショートメッセージ

    《マルコの福音書によると、主イエス様が、人々の「ホザナ」の歓声の中、ろばの子に乗ってエルサレムに入場されてから、第三日目のことです。
     マタイとルカは、第二日目の出来事として書き記しています。
     イエス様と十二使徒たちの一行は、この時ベタニヤのマルタとマリヤと弟ラザロの家に泊まっていました。しかもベタニヤに来られたのは、エルサレムに入場される前日であったのです。

     ヨハネはこう書き記しています。

    『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
     人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
     マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
     ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
     しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
     イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
     大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
     祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
     その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
     イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。(ヨハネの福音書12:1~12:14)』

     その次の日に、祭司長、律法学者、長老たちが、宮におられたイエス様の所に、ぞろぞろとやって来たのです。
     彼らの質問に、イエス様は質問によって答え、彼らが「分かりません」としらを切った後、今回の「たとえ話」をされました。

     この「悪い農夫のたとえ」は、マタイ、ルカにも掲載されています。3つの共観福音書のすべてに書き記されていると言うことは、非常に大切な教えをイエス様は、彼らに話されたことが分かります。

     誰を対象としてイエス様は話されたのでしょうか。もちろん祭司長、律法学者、長老たちです。尾山令仁先生は、全員がサンヘドリン議会議員であったと解釈しています。

     今日から数日間は、この「悪い農夫のたとえ」について学んで行くことにしましょう。

    『ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
     季節になると、ぶどう園の収穫の分けまえを受け取りに、しもべを農夫たちのところへ遣わした。
     ところが、彼らは、そのしもべをつかまえて袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。』

    「ある人」とは、神様を指しています。
    「ぶどう園」とは、ユダヤ人を指しています。
    「垣を巡らし」とは、神様の特別な守りがあると言うことです。
    「酒ぶねを堀り」とは、神様の祝福の象徴である「ぶどう酒」すなわち「喜び」があると言うことです。そして恵みに溢れていると言うことです。
    「やぐらを建て」とは、神殿を指しています。
    「農夫」とは、ぶどうの木を世話する者、すなわち祭司長、律法学者、長老たちを指しているのです。

    「旅に出た」とは、ぶどうの木は実がなるまで、数年かかります。それゆえ主人は、農夫たちにゆだねられたのです。

    「収穫の季節」が来ました。それゆえ主人である神様は、しもべを遣わされます。
    このしもべとは、「預言者」を指します。しかし、農夫たちは、すなわちユダヤの指導者たちは「預言者」の言うことを聞きません。むしろ聞くどころか、預言者を迫害したのです。そのことを主は、教えておられるのです。

     じつは、このたとえ話こそが、イエス様の答えなのです。

     彼らは、言った。「何の権威によって、これらのことをしているのか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのか。」

     この質問に対する答えを、イエス様はされたのです。》

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