◇◆◇日々のみ言葉
2016年3月8日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書12章14節】
12:14 彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
◎ショートメッセージ
《さて、祭司長たちや律法学者、そして民の長老たちは、主イエス様に何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人を送って来たのです。
パリサイ人とは、「パリサイ派」に所属している人たちで、律法に忠実に生きることを主張し、彼らの編纂した「口伝律法(ミシュナ)」に従って生き、ローマ帝国の支配下にあることを忌み嫌い、ローマ帝国や国主ヘロデに税を納めることをいざぎよしとしない人々で、熱心党ほどの過激な実力行使はしませんが、反ローマ、反ヘロデの立場を取っていた人たちでした。
それに対して、ヘロデ党というのは、ヘロデこそユダヤの名門ハスモン家の血筋を引く王であって、だからそのヘロデの支配と繁栄を支持すると言う者たちで、当然ローマ帝国を後ろ盾にしてそれをしたいところから、ローマ帝国に追従する立場に立つ人たちであったのです。
そうであるとすれば、本来は真っ向から対立する立場の人たちなのですが、イエス様を陥れるという点において利害関係が一致し、このたび力を合わせて主イエス様の所にやって来たと言うわけです。
以前にも書きましたが、敵である悪魔は、このように互いに反対する立場に立つ者たちでさえも、一致団結させ、力を合わせさせて、主イエス様に刃向かわせて来るのです。
ここに一つの教訓があります。
私たちの教会はどうでしょうか。主イエス様の教会は一致団結しているでしょうか。教会は、主イエス様のからだであると言われています。そのからだの部分が、互いのからだの部分を裁き、傷つけあっていないでしょうか。
互いの教理の違いを主張し、自分たちだけが正しいと、他の教派・教理を裁き合っていたとしたら、それこそが、悪魔・悪霊の思うつぼなのです。
敵は、一致団結しているのです。
神にある教会も、主イエス様につき従う人々も、今こそ一致団結するべき時ではないでしょうか。それこそが、「互いに愛し合う」こととなり、リバイバルをもたらすことにつながると思います。
さて、パリサイ人とヘロデ党の者数人が主イエス様の所来て、こう言ったのです。
「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。」
この言葉は、けっしてお世辞ではありません。敵である彼らも主イエス様のことを認めざるをえない、いや認めていることが分かります。
「ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
この質問の動機は、主イエス様を陥れ、言葉じりを捉えて罠にかけ、訴える口実にするものでした。
しかも彼らは、すでにこの質問の答えも述べています。
すなわち、「納めるべきである」「納めるべきではない」と、二者択一の答えを主イエス様から、聞き出そうとしているわけです。
なんと悪魔・悪霊どもは狡猾なのでしょうか。私たちは敵を嘲ってはならないのです。悪魔・悪霊どもを過小評価してはいけません。だからと言って過大評価もしてはなりません。
私たちクリスチャンには、主イエス様の御名によって、悪魔・悪霊どもを縛り、叱りつけ、追い出す権威が与えられています。
私の恩師である岸義紘先生は、良くこう言われました。
「悪魔・悪霊どもよりも、私たちの中に住んでおられる聖霊様は、彼らよりも何億、何兆万倍以上も、いやもっとそれ以上に無限大に強いお方なのです。力あるお方なのです。創造主なるお方が、共にいてくださるのです。だから恐れてはならないのです。恐れるな。強くあれ。雄々しくあれ。」
「税金を納めるべきである」
「税金を納めるべきではない」
主イエス様のお答えが、どちらに転んだとしても、パリサイ人とヘロデ党の者たちに取っては、まさしくイエス様をローマ提督に訴えることが出来る証言を、得ることになった質問だったのです。
「ところで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
主イエス様は、すべての人を知っておられます。すべてを見抜いておられます。この質問に対して、イエス様がどのような答えをされたのかは、明日、改めて考えて見たいと思います。》