◇◆◇日々のみ言葉
2016年3月24日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書12章33節】
12:33 「また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、律法学者に答えられました。
「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』われらの神である主は、唯一の主である。次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
すると、そのお答えを聞いた律法学者は、イエス様に言ったのです。
「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。」
「そのとおり」とは、「みごとです」と言う意味を含んだ原語が使われています。その続きが、本日のみ言葉となります。
「また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
この答えには、彼が、主イエス様と出会い、目が開かれたことが、明確に含まれています。
それは、「どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」と言うことです。
つまり、主なる神様を愛し、自分を愛し、隣人を愛することこそが、神殿における全焼のいけにえや供え物よりも、神様が喜ばれると言うことを指しているのです。
律法は主に二つに分けることが出来ます。生活律法と祭儀律法です。祭儀律法は、主イエス様の十字架によって廃棄されることになります。しかし生活律法は、残されているのです。
神様を愛すること、神様に従うこと、自分を愛すること、そして人を愛することこそが、救われた者のすべきことなのです。
主イエス様が、私たちの罪を赦され、愛して下さったように、まず私たちは自分を赦し愛しましょう。自分を赦し愛する者は、人を愛し赦すことが出来るようになります。
勘違いしないでいただきたいのですが、「自己愛主義」ではなく、まず一番始めに、主イエス様を、神様を愛することが先なのです。それなくては、その愛は自己中心なものしかありません。
私たちには「助け主」がおられます。そのお方と共に歩み、三つの愛に生きて行きましょう。》