◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月1日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書12章43節~44節】
12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
◎ショートメッセージ
《弟子たちに、律法学者には気をつけるように教えられた主イエス様は、神殿の献金箱に向かってすわられました。おそらく地べたではなく、柱の下の方に腰掛けるスペースがあったことと思われます。
そして人々が献金箱へ硬貨を投げ入れる様子を見ておられました。すると多くの金持ちが大金を投げ入れていたのです。
彼らは自分の持つ余り有る中から、捧げていましたが、その心の中の動機は、自分が金持ちであることを見せびらかすためであったのです。
神殿の献金箱は、筒状になっており、下まで十メートル近くあり、その金属製の筒の中に、たくさんの硬貨を投げ入れるほどに、ものすごい、けたたましい音が、神殿中に鳴り響いたのでした。
それゆえ金持ちたちは、競いあって、献金したのです。誰が、一番大きな音を響かせることが出来るのか、と言う具合にです。
神様に感謝の心を込めて、本来は献金すべきであるはずなのに、その献金そのものの行為が、全く神様の意図されたことから離れていたと言うわけです。
そこへひとりの貧しいやもめが来たのです。そして、レプタ銅貨を二つ投げ入れました。
ところでイエス様は、なぜやもめだと分かったのでしょうか。それは、当時のやもめは、一目でそれと分かるような服装をしていたからです。
そのやもめは、一コドラントに当たるレプタ銅貨を二つ投げ入れました。
すると、主イエス様は弟子たちを呼び寄せて、こう言われたのです。
「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
主イエス様は、生活費全部を献金することを賞賛されたのでは、決してありません。
このやもめの心をご覧になられたのです。その純粋な心を、神様に対する愛と崇敬な心をです。
献金には痛みが伴います。なぜなら私がそうだったからです。しかし、聖書の法則は、今であっても不変です。つまり与えることが先なのです。
使徒パウロは、まさに真実を語っています。
『私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。とりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。(第Ⅱコリント9:6~9:7)』
そして最後に。
聖書には、この後の結末が書かれてはいません。しかし私は確信します。この後、主イエス様は、すぐに父なる神様にお願いして、このやもめに何倍もの祝福を与えられたことを。》