◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月2日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書13章1節~2節】
13:1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
13:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
◎ショートメッセージ
《宮とは、ヘロデ大王の第三神殿を指し示します。当時は、まだ完成しておらず工事中でありました。
完成するのは、主イエス様が十字架に架けられ、三日目によみがえり、そしてそれから四十日後に、オリーブ山において昇天されてから、三十数年後のことになります。
「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
さて、この質問をした弟子とは、いったい誰なのでしょうか。
おそらく十二使徒たちではないと思われます。なぜなら彼らが「過越の祭」に、主イエス様と共に、エルサレムに上って来るのは、これが四回目だからです。
最初の「過越の祭」の時には、弟子たちは、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、そしてピリポとナタナエル(バルトロマイ)の六人であった可能性が高いですが、二回目の「過越の祭」には、十二使徒はすでに、主イエス様によって選ばれていました。もちろん同行したはずです。
ましてや、ゼベタイの子ヤコブとヨハネは、今まで毎年、父と母サロメと共に、エルサレムにある自分の家にやって来ていましたので、見慣れた光景なのです。
よって、この質問をした弟子は、十二使徒ではなく、おそらくイエス様の弟子になってから一年も経っておらず、しかもエルサレムに上って来るのは、今回が初めて、と言う人物であると思います。そうでなければ、こんな質問をするはずがありません。
主イエス様は、このように答えられました。
「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
この時、主イエス様のこの言葉を聞いた弟子たちは、いったいどのような気持ちを抱いたことでしょう。
神殿に使用された石も、そして城壁でさえも、ヘロデは、あらゆる攻撃に耐えうるように、入念に、かつ堅牢に積み重ねていたからです。
それだけではありません。ヘロデは、かなりの美的センスを持ち併せていたのです。当時、彼が建築した都市や城は、難攻不落だけではなく、非常に美しい建造物であったのです。
弟子たちが、「本当にそのようなことが起きるのだろうか。そんなことが可能だろうか。」と考えたことは、想像するに容易いことです。
主イエス様のなされたこの「預言」は、紀元70年にローマ皇帝ティトスによって成就します。その時、エルサレムは陥落し、神殿は崩されます。
形有る物は、何時かは必ず滅びます。しかし永遠に滅びることのない物が有るのです。それは「み言葉」であり、そして主イエス様の「愛」であり、私たちに無償で与えられた「永遠のいのち」なのです。》