◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月3日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書13章3節~4節】
13:3 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。
13:4 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様が、神殿から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言いました。
「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
すると、イエス様は彼に言われたのです。
「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
昨日の「日々のみ言葉」にも書きましたが、この弟子は十二使徒ではありません。十二使徒たちは、主イエス様と「過越の祭」を祝うために、エルサレムに上るのは、今回で四回目なのです。
ましてやゼベタイの子であるヤコブとヨハネは、エルサレムに家を持っていましたから、物心ついた時から、「過越の祭」に来ていたことは間違いありません。主イエス様も、義理の父であるヨセフと母マリヤと共に、「過越の祭」を祝うためにエルサレムに毎年のように来ていたのです。彼らには、見慣れた光景であり、建物なのです。よってこの弟子は、初めてエルサレムに訪れ、見事な神殿に感動したと言うわけです。
その弟子と主イエス様のやりとりを聞いていたペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、イエス様の所にやって来て密かに質問しました。
「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
この時、イエス様はオリーブ山において、そこから見渡せる神殿に向かって座っておられたようです。
この時、イエス様は、何をご覧になっておられたのでしょうか。イエス様は神様であられるので、私たちとは違い、時間の制限の中にはおられません。私は、その時、イエス様の目に映っていたのは、紀元70年に成就することになるエルサレム陥落と神殿崩壊の映像ではなかったかと思うのです。
ろばの子に乗ってエルサレムに入場される時、主イエス様は涙を流されました。
ルカはこう書き記しています。
『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。
「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(ルカの福音書19:41~19:44)』
主イエス様は、エルサレムを、そして本当にそこに住んでいた人々を愛されておられたのです。》