◇◆◇日々のみ言葉
2016年6月9日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章48節~49節】
14:48 イエスは彼らに向かって言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕えに来たのですか。
14:49 私は毎日、宮であなたがたと一緒にいて、教えていたのに、あなたがたは、私を捕えなかったのです。しかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、彼らに言われました。
この「彼ら」とは、パリサイ人や律法学者たち、そして祭司長や民の長老たちのことを指します。彼らは、最高議会サンヘドリンから遣わされて来た人たちです。
彼らが、主イエス様を捕らえようと思えば、いつでも捕らえられないことはありませんでした。主が言われる通り、イエス様はエルサレムにおられる間は、神殿にいて教えていたからです。
しかし彼らはイエス様を捕らえませんでした。それは、イエス様を捕らえれば、民衆が黙ってはいないからです。ユダヤ人議会は、民衆から絶大の支持と人気を得ているイエス様を恐れたのです。
ですから、夜の暗闇に乗じてイエス様を捕らえに来たのです。しかも、ローマ軍の千人隊長や、一隊の兵士たちを引き連れて、と言うわけです。イエス様が、あたかもローマ帝国に反逆した謀反人か強盗でもあるかのような印象を、人々に与えようと言う魂胆があったからです。
イエス様は彼らに言われました。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕えに来たのですか。私は毎日、宮であなたがたと一緒にいて、教えていたのに、あなたがたは、私を捕えなかったのです。しかし、こうなったのは聖書のことばが実現するためです。」
イエス様が、言われた「聖書の言葉」とは、イザヤ書53章を指しているとも考えられます。
イザヤ書によれば、
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。(イザヤ53:4~53:5および53:9~53:10)』と、書かれています。
この53章全体の預言が「悲しみと苦しみのメシヤ預言」であると言われています。しかしイエス様は、あえてイザヤ書を引用されたのではありません。イエス様は、旧約聖書全体を指して言われたのです。
旧約聖書の教え全体が、イエス様の十字架上での死による救いを、預言として語っていると見ることができるのです。
つまり父なる神様の救いのご計画が、そこに行なわれるのだと言うことを、主イエス様は確信しておられたのです。
聖書は、「旧約」と「新約」に分かれていますが、そのテーマはただ一つです。それは、神様が救い主を送ってくださること、そしてそのお方が誰であって何をなさったのか、と言うことであり、つまり「イエス・キリスト」を指し示しているのです。》