◇◆◇日々のみ言葉
2016年6月8日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章47節】
14:47 そのとき、イエスのそばに立っていたひとりが、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした。
◎ショートメッセージ
《この場面については、マタイ、マルコそしてルカの共観福音書に書き記されています。
しかし、三つの共観福音書には、その出来事の断片だけが書かれており、その全体の内容を総括しなければ、具体的に詳しい状況を判断することは難しいと言えます。
使徒ヨハネは間違いなく三つの共観福音書を知っていました。その彼が、この出来事を、まさに主イエス様の身近において体験し、抜け落ちていることや、必要なことを書き加えています。
ヨハネによりますと、
『シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父が私に下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕えて縛り、まずアンナスのところに連れて行った。(ヨハネの福音書18:1~18:13)』と、書かれています。
まず、大祭司のしもべに撃ちかかったのはペテロであることが分かります。
使徒ヨハネが福音書を書いた頃には、すでに数十年前にペテロは、ローマにおいて逆さ十字架による殉教の死を遂げていましたから、あえてその名前を公にすることが出来たと考えられるのです。
また耳を切り落とされた大祭司のしもべの名前が、マルコスであったことも、ヨハネは証しています。これはどういうことでしょうか。あの時、ペテロによって、切り落とされた耳を、イエス様にいやされたマルコスは、信仰を持ったと思われるからです。
でなければ、どうしてヨハネが、その福音書にその名前を書き残す必要があるでしょうか。またルカの福音書によりますと、イエス様が、ゲッセマネの園に行く直前に、弟子たちに、なぜ「剣を買いなさい」と言われたのでしょうか。
そのすべてが、マルコスの為であったことは、一目瞭然なのです。
おそらくペテロは、この件を非常に恥ずかしく思い、生前は、「ひとりの者」として、自分であることを隠して、話していたと思われるのです。
またマタイもルカも、ペテロが生きている間には、ペテロへの配慮から、その福音書にあえて、その名前を公にすることを控えたとも考えられるからです。
なぜなら「使徒の働き」の時代において、間違いなくシモン・ペテロは、自他共に認める使徒たちのリーダーであり、宣教の中心人物であったからです。
人々がつまずくような内容を、あえて公にする必要はなく、その件について伏せることは決して罪ではないからです。真実をすべて公にすることが正しいことではなく、時には、その真実を伏せることも、正しい場合があり得るということです。
この時、弟子たちは主イエス様を守ることは出来ませんでした。その後、多くの弟子たちは逃げてしまうのですが、ヨハネとペテロは、イエス様のあとについて行きます。 いよいよ、ペテロに預言されたことが、成就する時が近づいています。》