◇◆◇日々のみ言葉
2016年6月24日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章72節】
14:72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、私を知らないと三度言います。」というイエスのお言葉を思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
◎ショートメッセージ
《自他共に認められていた十二使徒のリーダーであったペテロ。そのペテロの三度におよぶ、主イエス様の弟子であることの否認、あるいは否定の出来事は、四つの福音書のすべてに書き記されています。それに伴い、イエス様における「ペテロの否認」の預言も、すべての福音書に書き記されています。
ルカの福音書には、非常に詳しく書かれています。
『シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンはイエスに言った。「主よ。ご一緒になら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言います。」(ルカの福音書22:31~22:34)』
マルコは、イエス様が「鶏が二度鳴く前に、あなたは、私を知らないと三度言います。」
と、書き記していますが、ルカは上記の通り「きょう鶏が鳴くまでに」、またマタイは、「今夜、鶏が鳴く前に」、そしてヨハネも「鶏が鳴く前に」となっていて、「鶏が二度鳴く前に」と、書き記したのはマルコだけです。
要するに、一番鳥が鳴く前に、ペテロは、三度「イエス様を知らないと言う」意味なのです。
この時、鶏が二回続けて鳴いたことが推測出来ます。なぜなら一回だけでは、ペテロは我に返ることが出来なかったとも考えられるのです。そして、鶏が続けて鳴いた時に、ペテロはイエス様のお言葉を、思い出したと考えられます。
ペテロのこの出来事は、一体何を私たちに教えているのでしょうか。
それは、私たちには、失敗することがあると言うことです。しかし、失敗をしたとしても、イエス様が、取り成しの祈りをしてくださり、私たちには立ち直る機会が与えられていることを教えています。
それだけではありません。この出来事、この試練を通して、主イエス様は、ペテロの自我と高慢な心を打ち砕かれたのです。心砕かれた者、へりくだった者を、主なる神様は用いられるからです。
もう一つあります。それは、このような場面にもし人が追い込まれたとしたら、どちらを選ぶかということを教えています。ペテロは、自分の身を守る為、保身の為に、主イエス様を知らないと言いました。
しかし主イエス様は弟子たちに、このように教えられたはずなのです。
『自分の十字架を負って私について来ない者は、私にふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、私のために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。(マタイの福音書10:38 ~10:39)』
ペテロは、この経験を通して、このように彼の手紙に書き記しています。
『信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。(第一ペテロ1:7)』》