◇◆◇日々のみ言葉
2016年6月27日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書15章3節~5節】
15:3 そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。
15:4 ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
15:5 それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。
◎ショートメッセージ
《夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、民の長老たち、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエス様を縛って連れ出し、ピラトに引き渡しました。
何について協議したのかと言いますと、彼らは民衆を恐れ、自分たちの手でイエス様を処刑することをせず、敵であり異邦人のローマ総督を利用して、「国家反逆罪」に仕立て、処刑してもらおうと考えたのです。
ピラトはイエス様に尋ねました。
「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
「そのとおりです。」
イエス様は、はっきりと答えられました。
その答えを聞いた祭司長たちは、怒りに満ち、いきり立ってイエス様を厳しく訴えたのです。
おそらく、その場に居合わせた祭司長たちだけでなく、民の長老たち、律法学者たちが、こぞってやじを飛ばしたことと思われます。日本の議会を思い浮かべます。
その勢いと罵声に、ピラトはもう一度イエス様に尋ねたわけです。
「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
この時、実はピラトは知っていました。それは、ユダヤ人の指導者たちがイエス様を訴えた真の理由は、ねたみであることを。
マルコは、こう書き記しています。
『ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。(マルコの福音書15:10)』
ねたみほど恐ろしいものはありません。ねたみとは、自分の持っていないものを持っている人をうらやむことです。
イエス様は、多くのしるしと奇蹟を行われました。しかし自称、神に仕えている祭司長たちや、また旧約聖書を知り尽くしている律法学者とパリサイ人たちには、民衆の心をつかむそのような神の御業を、ひとつも行なうことが出来なかったのです。
イエス様は、神の御子として、聖霊様の力によって奇蹟としるしを行なわれました。
この奇蹟としるしこそが、メシヤであることを、父なる神様から遣わされたことを、明確に証明するものでした。
それにもかかわらず、彼らはその御業を認めることもせず、信じようともしなかったのです。
神のなせる御業を実際に見た者たちさえ、信じることが出来なかったとしたら、現在、科学が発展したこの時代に、イエス様を信じることは難しいと言われるかも知れません。
しかし、イエス様は、生きておられるのです。過去の人でも、過去の神様でもありません。今も生きて働かれるお方であり、本当に創造主なる神様なのです。このお方を信じることが出来たのならば、あなたや私の人生は、決して失敗ではなく、最高の成功を手にしたことになるのです。それは、永遠のいのちなのです。》