◇◆◇日々のみ言葉
2016年7月10日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書15章25節】
15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
◎ショートメッセージ
《「彼ら」とは、総督ポンテオ・ピラトに命じられた四人組のローマ兵たちのことを指します。この時、彼らを指揮していた人物がいたことは明白です。それは、ローマ軍の百人隊長です。
この人物については、後ほどじっくりと考えて見ることにしたいと思います。
さて、ローマ兵は、主イエス様を真ん中の十字架に、そして右と左に罪人を十字架につけました。つまりゴルゴタの丘には、その時三本の十字架がかかげられたのです。
本来ならば、この真ん中の十字架には、暴動を起こし、人殺しを行なったバラバがつけられるはずでしたが、そのバラバの代わりにイエス様がつけられたと言うわけです。
聖書には、「バラバは暴動を起こした」と書かれていますが、それはローマ帝国に対してであり、また人殺しを行なったと言うことは、ローマ人もしくはローマ兵を殺害したことは明白です。なぜならユダヤ人がユダヤ人に殺されたとしても、ピラトには、関係のないことなのです。事実、ステパノが殉教した時、石を投げたユダヤ人には、何のおとがめもなかったと思われます。
さて、この時、右と左の十字架につけられたのは、バラバと行動を共にした者たちでは、なかったのではないでしょうか。つまりバラバの右腕と左腕とも言うべき、人物であったと言うことです。
おそらくリーダーであるバラバに、心から賛同し、付き従って来た彼らは、今死に行こうとしていますが、その張本人である親分バラバは、赦免されて、何と釈放されているのです。この二人の囚人の心には、嵐が吹き荒れていたことを、誰が否定できるでしょう。
そして、これも推測にしかありませんが、自分の部下が死に行く様を、遠くから首謀者バラバは、見詰め続けていたのではないでしょうか。
バラバは、なぜ自分が釈放されたのか、理解出来なかったに違いないのです。自分は釈放されたが、二人の側近の部下たちは釈放されず、十字架にかけられ苦しんでいます。やがて彼らは死んで行きます。
二人の囚人の心には、
「なぜ親分は釈放されたんだ。なぜ俺たちは釈放されず、こんな苦しみを受けているんだ。親分に従った来ただけなのに、なぜ俺たちだけがこんな目に会わなければならないんだ。」と、後悔と悔しさと憎しみで一杯だったに違いありません。
「過越の祭」が始まる前に、主イエス様は十字架にかかられました。マルコは午前九時と言っていますが、これは現代時制が使われています。すなわち今と同じ午前九時です。
ところで、ペンテコステは何時に起きましたでしょうか。ルカは「使徒の働き」に、このような、ペテロの言葉を書き記しています。
『そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」(使徒の働き2:14~2:15)』
イエス様が十字架につけられた時間、そして聖霊降臨の時間は、朝の九時なのです。これは偶然の一致なのでしょうか。私には、そう思えないのです。ここにも神様の特別な摂理が感じられないでしょうか。》