◇◆◇日々のみ言葉
2016年7月14日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書15章31節~32節】
15:31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
15:32 キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、二人の囚人と共に、午前9時に十字架に掛かられました。ゴルゴタの丘は、エルサレムから何本も通じている街道の中の一つの街道の側近くにあったようです。それゆえ道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言ったと言うわけです。
「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
そればかりではありません。主イエス様の処刑を見届けようとやって来ていた祭司長たちや律法学者たちも、一緒になって、イエス様をあざけったのです。
「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王様。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」
そればかりではありません。イエス様と共に、同じように十字架に掛けられた犯罪人の一人も、このように言ったのです。
「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」
どの者たちも、イエス様に「自分を救え」「十字架から降りてみろ」とけしかけるのです。
主イエス様は、ご自分を救うためにこの世に来られたのではありません。イエス様は私たちを救うために、ご自分を犠牲にして、私たちに永遠のいのちを与えるために、天から降りて来られた神の御子なのです。
それゆえ、イエス様が言われた通り、ご自分から命を捨てられるのです。
主イエス様をののしった者たちの間違いは、主イエス様がご自分を救おうとしないのは、主イエス様が無力であって、それが出来ないからだと考えた所にあります。
果たしてそうなのでしょうか。いいえ、違います。
イエス様は、ご自分をこの状況から救い出すことも、また十字架から降りることも、いと容易く、簡単にお出来になられたのです。この時、イエス様は悪魔の誘惑を感じられたに相違ありません。
しかしイエス様は、十字架に留まり続けられるのです。そして、午後3時に、イエス様は、「すべては完了した」と言って、その霊を父なる神様にお渡しになられます。
もしイエス様が、十字架に降りられたのならどうなるのでしょうか。たとえそうであったとしても、道行く人々も、祭司長たちや民の長老たちでさえも、イエス様を信じようとはしなかったでしょう。彼らは一目散に逃げ出すに違いありません。
そればかりではありません。人間には、永久に救いが与えられないことになってしまいます。
しかし、主イエス様は、旧約聖書に書かれた預言通りに、十字架に掛かられ、私たちの罪の身代わりとして十字架上で死んでくださるのです。
そして、それで終わりではありません。三日後に、イエス様はよみがえられるのです。》