◇◆◇日々のみ言葉
2016年7月28日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章3節~4節】
16:3 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、誰かいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。
16:4 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
◎ショートメッセージ
《さて午後6時になりました。安息日が終わり、週の初めの日が始まりました。すると、エルサレム市内の店は一斉に開店します。
ゼベタイの家において、安息日を守っていたマグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとゼベタイの妻サロメとは、イエス様のお体に油を塗りに行こうと思い、広場の店に香料を買いに出かけました。
用意が整うと、彼女らは、その日は早くに休み、まだ日が上る前から、エルサレム市外にある園の近く、アリマタヤのヨセフの新しい墓に急いだのです。
彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、誰かいるでしょうか。」と話し合いながら、歩いていました。
墓のふたの石は、円形をしていて、どんなに頑張ったとしても、女では動かすことが出来ないほどの重さだったからです。
そんな障害があったとしても、彼女たちは、自分たちの手で、愛する主イエス様のお体に、油と香料を塗ることを望んでいたのです。
なぜなら、先日は、アリマタヤのヨセフと、エルサレム神学校長ニコデモが、没薬と香料をたくさん用意していて、彼女たちはイエス様に何もすることが出来なかったのです。ただ、見届けると共に、ヨセフのあとにいて行くしかなかったからです。
それゆえ今度こそは、イエス様のお体に、自分たちの手で、入念に油と香料をすり込んで、最後のお別れをと考えていたのです。
彼女たちも、イエス様がよみがえることを信じてはいなかったのです。イエス様が何度も、「私はよみがえります。」と話しておられたにもかかわらず。
彼女たちの目には、死んで動かなくなったイエス様のお体しか写っていませんでした。日が上ったとき、彼女たちは、イエス様の納められた墓に着きました。
すると、彼女たちは、目の前にある光景に驚きました。
何と、あれほど大きな墓の石のふたが、すでにころがしてあったからです。
この時、彼女らはあることに気づきます。それは、墓の入り口に、そしてふたとなっていた大きな円形の石に、ローマ式封印がなされていたことを。
しかし、その時には、ローマ兵たちはいませんでした。なぜなら、すでに都に逃げ帰っていたからです。もちろん彼女たちは、そこにローマ兵たちが、イエス様が十字架につけられた次の日の安息日(土曜日)から、週の初めの日(日曜日)の朝まで、寝ずに番兵として見張りをしていたなど、まったく知らなかったからです。
女たちが、墓に到着した時には、すでに主イエス様はよみがえられたあとでした。主イエス様は、本当によみがえられたのです。ヤイロの娘やラザロのように、ただ単に生き返ったのではありません。イエス様は、栄光の体に変えられて、よみがえられたのです。これこそが、私たちに約束された『永遠のいのち』なのです。》