◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月2日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章10節~11節】
16:10 マリヤはイエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行き、そのことを知らせた。
16:11 ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。
◎ショートメッセージ
《週の初めの日の朝(ユダヤ暦では、前日の午後6時から新しい一日が始まっています)早くによみがえった主イエス様は、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされました。
ヨハネの福音書によりますと、
『彼女は、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。
イエスは彼女に言われた。「私にすがりついていてはいけません。私はまだ父のもとに上っていないからです。私の兄弟たちのところに行って、彼らに『私は、私の父またあなたがたの父、私の神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。(ヨハネの福音書20:14~20:18)』
と、書かれています。
この箇所が、マルコの福音書に不足している所です。この後に続くことが、本日のみ言葉です。
『マリヤはイエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行き、そのことを知らせた。ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。』
さて、マグダラのマリヤは、どこに知らせに行ったのでしょうか。
ヤコブの母マリヤとサロメは、御使いに会い、ゼベタイの家に戻って来たのです。そしてペテロとヨハネに伝えました。すると二人の弟子は、墓に走って行きました。マグダラのマリヤはそのあとについて行き、再度墓に行ったのです。
その時に、イエス様が彼女にお姿を現わされました。すでに、ペテロとヨハネは戻って行きましたし、ルカによれば、この墓からの帰り道にペテロは、主イエス様とお会いします。
しかしヨハネは、どうしたのでしょうか。彼は自分については、その福音書にあまり書きませんでした。私は思います。ペテロと出会われたイエス様は、そのあとすぐにヨハネにお会いしたのではないかと。もちろん聖書には、そんなことは書かれてはいませんし、あくまで、私の推測にしか過ぎませんが。
さて、嘆き悲しんでいる他の弟子たち、また女たちとは、ゼベタイの家にいた人々だけではありませんでした。
そうです。ペテロとヨハネを除いた九人の使徒たちが残されています。彼らはどこにいるのでしょうか。どうやらベタニヤのマルタとマリヤとラザロの家に、逃げ隠れて留まっていたらしいのです。彼らも非常に嘆き悲しんでいました。
もしそうだとしたら、マグダラのマリヤは、イエス様のよみがえられた喜びのメッセージを、ベタニヤの彼らの所に届けたのではないでしょうか。
しかし、彼らはどうしたのでしょうか。
『ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。』のです。
これが人間です。常識と経験だけで判断してしまうのです。しかし信仰は違います。信仰は、目に見えないものに目を留めることなのです。》