• 日々のみ言葉 2016年8月1日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年8月1日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書16章10節~11節】
    16:10 マリヤはイエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行き、そのことを知らせた。
    16:11 ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。

    ◎ショートメッセージ
    《『〔さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。〕(マルコの福音書16:9)』

     使徒ヨハネは、エペソ教会において「長老」と言われていました。その時には、他の十二使徒(イスカリオテのユダの代わりに選ばれたマッテヤを含む)は、すでに全員が殉教しており、イエス様を知っている唯一の生き証人は、このヨハネだけだったのです。

     ヨハネは、すでにマタイ、マルコ、ルカの福音書、そしてパウロの手紙やペテロの手紙など、その写しの多くを手にしていたと思われます。しかしエペソ教会の教会員からの勧めもあり、また書き加える必要にかられ、ヨハネは第四福音書を執筆することになるのです。彼は二世紀まで生きながらえたと伝えられています。

     そのヨハネが、福音書に、イエス様がマグダラのマリヤに、お姿を現わされた場面を、詳しく書き記しました。

    『さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
     それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「誰かが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
     そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。ふたりは一緒に走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
     そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。
     シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布と一緒にはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
     そのとき、先に墓についたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
     しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
     彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「誰かが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
     彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
     イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
     イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。(ヨハネの福音書20:1~20:16)』

     マグダラのマリヤは、本当に主イエス様につき従った女でした。イエス様に悪霊を追い出していただき罪から解放され、赦され、そして心を一新してイエス様に、全身全霊を尽くしたのです。
     イエス様は、心を見られるのです。その動機を見られるのです。ここに私たちに対しても大きな慰めがあります。それは、本当に、主イエス様にすべてを捧げた人には、たとえ女であっても男であっても、また子供であっても大人であっても、主イエス様は、必ずご自身を現わしてくださる、と言うことなのです。》

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