◇◆◇日々のみ言葉
2016年7月31日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章9節】
16:9〔さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。〕
◎ショートメッセージ
《この節から20節までは『〔 〕』がついています。学者の研究により、写本上の証拠から、二世紀になって追加された文章であることが明らかにされています。
聖書編集者が、他の三福音書の存在を前提とし、それらの復活物語との調和を図って付け加えられた、と言われています。
よって本来、マルコの福音書は、16章8節で終わっています。
さて、私たちは、二世紀になって付け加えられた箇所も学んで行くことにしたいと思います。
まず、このように付け加えられたことには、神様の許可の中にあることと信じるのです。実際、誰が16章に付け加えたかは分かりませんが、そこに書かれた内容は、やはり聖書のまことの著者である聖霊様の意思と意図を感じるのです。
イエス様はよみがえらえました。
生きておられるお姿を、最初に明らかにされたのは、愛する母マリヤでもなく、また弟たちと妹たちでもなく、そしてご自身が使徒と名付けた弟子たちでのもなく、つまり愛する弟子ヨハネでもなく、ペテロと名付けたシモンでもなく、何と罪深いと言われていたマグダラのマリヤだったのです。
マグダラのマリヤは、一度ゼベタイの家に、ヤコブの母マリヤとサロメと共に逃げ戻ったのです。そしてそこにいたシモン・ペテロとヨハネに伝えたのです。
するとシモン・ペテロとヨハネは、その場所を聞いて走って行きました。そのあとを追いかけて、もう一度マグダラのマリヤは、主イエス様の納められた墓にやって来たのです。
ヨハネによりますと、
『しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「誰かが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。
イエスは彼女に言われた。「私にすがりついていてはいけません。私はまだ父のもとに上っていないからです。私の兄弟たちのところに行って、彼らに『私は、私の父またあなたがたの父、私の神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。(ヨハネの福音書20:11~20:18)』
イエス様は、なぜ一番最初にマグダラのマリヤに、生きておられるお姿を現わされたのでしょうか。明日、ご一緒に考えて見たいと思います。》