• 日々のみ言葉 2016年8月3日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年8月3日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書16章12節~13節】
    16:12 その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現わされた。
    16:13 そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。

    ◎ショートメッセージ
    《マルコが書いたこの出来事は、何とルカが綿密に書き記しています。

     ルカの福音書によりますと、

    『ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
     イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
     クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
     イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
     するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
     それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
    それで、彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らと一緒に泊まるために中にはいられた。
     彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。(マタイの福音書24:13~24:31)』と、書かれてあります。

     有名な絵があります。「エマオへの道」と言う絵です。1877年にスイスの画家Robert Zundによって描かれました。私も大好きな絵の一枚です。

     一人はクレオパですが、もう一人が誰であったのか、学者の中では、いろいろな説があるようですが、私はクレオパの妻マリヤではないかと考えています。この二人が、エマオから急いでエルサレムに戻って、弟子たちに告げたのです。しかし、ペテロとヨハネを除いた他の弟子たちは信じようとはしませんでした。

     神様は生きておられます。しかしいくらそのことを篤く語ったとしても、その人自身が、神様とお会いしない限り、信じることは不可能です。つまり「神体験」が絶対必要だと言うことです。本当のクリスチャン人生とは、神体験の連続であるはずなのです。では、まだ信じようとしない人たちに対して私たちはいったいどうしたら良いのでしょうか。それには取り成しの祈りしかありません。神様がその人に出会ってくださるよう、強く祈り求めるしかないのです。》

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