◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月5日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章14節】
16:14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。
◎ショートメッセージ
《昨日は、おもに、十一使徒たちが集まっていた場所について考えて見ました。
安息日が終わるまでは、使徒たちは二分されていました。使徒ヨハネとペテロは二人で行動していました。
これも私の推測ですが、以前イエス様は十二使徒を二人づつ六組のチームとして、病人をいやし悪霊を追い出す為にお遣わしになられましたが、私はその時からイエス様は、ペテロとヨハネをチームとされたのではないでしょうか。
これまた私の推測に過ぎないのですが、十二使徒の中で一番年長の者は、シモン・ペテロではなかったのではないでしょうか。そしてこれは確かなことですが、主の愛された弟子ヨハネは一番若いのです。主イエス様は十二使徒の中で一番年長の者と、一番若い者を組み合わせたのではないでしょうか。二人がチームであったことは、ルカの福音書22章からも、十分に推測できます。
さて、本日の聖書箇所に目を向けて見ましょう。この時には分断されていた十一使徒たちが一緒になり集まっています。しかも食卓を囲っていました。ルカはこの場面を、さらに詳しく書き記しています。
ルカによれば、
『すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、「本当に主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。
彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。(ルカの福音書24:33~24:35)』と、なっています。
しかし、彼らは信じなかったのです。マグダラのマリヤの言葉も、そして女たちの言葉も、ペテロの言葉も、クレオパの言葉もです。
ここで言う「彼ら」とは、ペテロとヨハネを除く九人の使徒たちをおもに指し示しています。またさらに他の弟子たちをもです。この時、やがてイスカリオテのユダの代わりに使徒として選ばれたマッテヤと、バルサバと呼ばれたヨセフも、その場所に同席していたと私は思います。
なぜなら「使徒の働き」の主の証人とは、間違いなく「復活の証人」だからです。
さて、扉は硬く閉ざされていました。なぜならユダヤ人たちやローマ兵たちが、彼らを捜していたからです。
すると、そこへ、主イエス様が、突然彼らの真ん中に立たれたのです。
ルカによれば、
『これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。私の手や私の足を見なさい。まさしく私です。私にさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。私は持っています。」
それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。(ルカの福音書24:36~24:43)』と、なっています。
『不信仰』こそ最大の敵です。残念ながら、私たちはこの場面に同席することは出来ませんでした。しかし、何時の日か、私も、またあなたも、主イエス様と十二使徒が一緒に食卓を囲んでいる所に、同席出来るかも知れません。天の御国においてですが。
私たちは、まことの創造主が誰であるのか知っています。またまことの神様が、どなたであるのか知っています。そうであるならば、徹底的に主イエス様を信じ、信頼し、み言葉に立ってこの世の旅路を歩んで行こうではありませんか。信仰とは、絶えず信じ続けることなのです。》