• 日々のみ言葉 2016年8月6日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年8月6日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書16章15節~16節】
    16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
    16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」

    ◎ショートメッセージ
    《マルコの福音書は、本来16章8節で終わっています。その終わり方はとても不自然なのです。よって二世紀になってから、9節から20節が足し加えられ、また「別の追加分」も加えられました。

     ところで、なぜマルコはこのような終わり方をしたのでしょうか。その答えとして、聖書学者たちは、この後の文章が失われたに違いないと考えています。本来は、マルコが書き記した原本には、8節に続く文章があったのですが、何らかの手違いによって、失われてしまったと言うことです。

     では、いったい誰が付け加えたのでしょうか。二世紀であることは、はっきりしています。

     ここでも一つの推測が成り立ちます。それは使徒ヨハネが付け加えたと言う考えです。彼は、三つの共観福音書を知っており、それだけではなくパウロの手紙もペテロの手紙も、すべて目を通していたと思われるのです。そして大切なことが抜けていることを確信し、第四福音書を執筆しました。ヨハネは、二世紀まで「長老」として生きながらえたと、伝えられています。もちろん、あくまで私の推測です。

     さて、週の初めの日の朝早くによみがえった主イエス様は、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされました。この時、マグダラのマリヤはひとりでした。
     そしてマグダラのマリヤは、イエス様といつも一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いている所に行き、そのことを知らせたのです。これはマリヤが、使徒たちや女たちの居場所を知っていたからこそ出来たことです。
     私は、ゼベタイの家だけでなく、ベタニヤのラザロの姉妹マルタとマリヤの所へも行ったと思っています。
     ところが、彼らは、イエス様が生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかったのです。
     またその後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエス様は別の姿でご自分を現わされました。そこでこのふたりも、残りの人たちの所へ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかったのです。
     ここで残りの人たちがどこにいたのか、彼らは知っていたことが分かります。
     そして、それからすぐ後に、イエス様は、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰と、かたくなな心をお責めになられました。それは、彼らが、よみがえられたイエス様を見た人たちの言うことを信じなかったからです。
     この時には、シモン・ペテロもヨハネも信じていましたし、実際によみがえられた主イエス様にお会いした者たちは、信じないわけには行かず、事実、真実であることが分かっていました。

     主イエス様は、その証しを聞いた使徒たち、他の弟子たちと女たちが信じなかったことをお責めになられたのです。人間とは、やはり弱いものです。見なければ信じることが出来ないからです。それゆえ主イエス様は、彼らにご自身を現わされたのです。
     しかし本当は、この時には十二使徒のひとりであり、デドモ(双子)と呼ばれたトマスがその場にいなかったことを、ヨハネは明らかにしています。

     主イエス様は言われました。
    「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」と。

    「福音」とは何でしょうか。それは、主イエス様が私たちの罪の身代わりとして死んでくださったこと、そして三日目に栄光のからだでよみがえられたことです。》

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