◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月8日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章17節~18節】
16:17「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
◎ショートメッセージ
《昨日に続き、同じ箇所から学んで見たいと思います。
今、学んでいる箇所は、ヨハネ・マルコが書き記したのではなく、二世紀になって付け加えられたと言われています。
さて、主イエス様は十二使徒たちに、こう言われました。この時には、まだマッテヤは選ばれていませんから、正確には十一使徒にですが。
「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
主イエスを信じる人々には、「次のようなしるしが伴う」と主イエス様は言われるのです。
イエス様が言われる条件は、ただひとつです。それは主イエス様を、キリストとして、すなわち救い主として信じる、と言うことだけです。
今日は、「新しい言葉を語り」について考えて見たいと思います。
このことについての解釈を、福音派の教会では、「メッセージ」あるいは「説教」と理解している場合が多いようです。しかし、イエス様の言われたことは、そうではありません。
このことに関する理解では、アッセンブリー・オブ・ゴット教団、あるいはペンテコステ派の教会の解釈が、ほぼ間違いありません。
それは「異言」です。
使徒パウロは、はっきりと御霊の賜物である「異言」について教えています。
『さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識の言葉が与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、み心のままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。(第一コリント12:4~12:11)』
『異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。(第一コリント14:2および14:4)』
この箇所から「預言」よりも「異言」が劣っているような誤解が生じるような感じがしますが、そうではありません。「異言」には、本当に力があるのです。「預言」とは、他の人に対して行なうのですが、「異言」は、その人自身が、神様に対して行なうものなのです。
「聖霊のバプテスマ」を受けた人は、間違いなく「異言」を語ることができます。しかし、「聖霊のバプテスマ」を受けた人が、「異言」を語れない場合もあります。なぜなら語り方を知らなければ、語れないこともありうるからです。
例えば、車が与えられるとします。しかし運転の仕方が分からなければ、せっかく車を持っていたとしても、使うことが出来ないと言うことです。
使徒パウロは、多くの異言を語りました。私たちも、この奥義を知り、異言を語るべきなのです。異言には本当に力があるからです。》