◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月11日(木)
16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
◎聖書箇所 【マルコの福音書16章19節】
◎ショートメッセージ
《『今、学んでいます箇所は、二世紀になってから付け加えられた箇所です。よってかなり省かれていると言っても良いかと思います。
この場面については、ルカが「使徒の働き」に詳しく書いています。
使徒の働きによれば、
『テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
彼らと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。
「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、一緒に集まったとき、イエスにこう尋ねた。
「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。
「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。
「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。(使徒の働き1:1~1:12)』と、なっています。
マルコに付け加えられた箇所は、この後四十日にわたって、生きておられるご自身を多くの人々に現わされ、そして使徒たちをオリーブ山に連れて行き、天に上って行かれるまでのことを省いているのです。つまり戸が閉められた部屋に、主イエス様が、突然現われて、その部屋から天に上って行くのではありません。誤解しやすいと思われます。
さて、ところで、なぜ「神様の右の座に着かれた」と書かれているのでしょうか。実際にその場面を見た者はいないはずです。
おそらく、主イエス様の語られたお言葉を信じて、このように書き記したと思われます。
『大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」そこでイエスは言われた。「私は、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(マルコの福音書14:61後半~14:62)』
主イエス様は、今も父なる神様の右の座に座っておられます。今、この世界には父なる神様も、主イエス様もおられません。第三位格の聖霊様がおられるのです。
今はまだ、聖霊様の時代なのです。「使徒の働き」の時代は、まだ終わっていません。続いています。
しかし何時の日にか、救いの門である教会の門が閉じられる時がやって来ます。 それは教会がその扉を閉じるのではありません。ノアの箱舟のように、救いの門である教会の扉を、父なる神様ご自身が閉じられるのです。》