◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月26日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章18節】
1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
◎ショートメッセージ
《御使いガブリエルは、ザカリヤに言いました。
「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
私は、いつも思うのです。この時、御使いガブリエルは、一体どのような顔をしていたのだろうか、と。
主イエス様が、ベツレヘムにおいてお生まれになられた時、ベツレヘム郊外の羊飼いに、御使いが「喜びの訪れ」を持って、現われる場面があります。
ルカによりますと、
『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。(ルカの福音書2:8~2:13)』と、書かれてあります。
この時の御使いも、ガブリエルであると私は信じます。御使いも私たちと同じように人格を持っているはずです。
私が抱く御使いのイメージは、冷たい、あるいはクールな感じで、何があっても顔色一つ変えない、そんなイメージが強いのです。
しかし、「喜びの訪れ」を伝えに来た時の御使いの顔は、まさに輝いていたのではないでしょうか。その顔には笑みがこぼれ、喜びに満ちあふれていたと思うのです。
その知らせを聞いたザカリヤは、どうしたのでしょうか。
「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
ここで彼は、御使いにしるしを求めたのです。つまり、御使いの言うことを信じられなかったのです。ザカリヤも妻のエリサベツも、一生懸命祈っていたはずです。子供が与えられるようにと。
御使いに、「ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます」と伝えられましたが、神様からの言葉よりも、今自分たちの置かれている状況、すなわち二人とも年寄りであったことや、目に見える状況で判断したのです。
そして、その知らせを信じるために、しるし(証拠)を求めたのです。これが人間です。人間は、どうしても目に見えないものよりも、目に見えるもので判断してしまうのです。》