◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月28日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章21節】
1:21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。
◎ショートメッセージ
《祭司ザカリヤは、神殿において香をたくと言う、祭司が一生に一度、巡り会えるかどうかの光栄な仕事のために、一人聖所に入って行きました。
ザカリヤが香をたく間、残りのアビヤ組の祭司たち、そして大ぜいのユダヤの民の人々は皆、外で祈っていたのです。
しかし、なかなか聖所から、香しい香りがただよって来ません。また、なかなかザカリヤが出て来ようとしないのです。普通ならば、もう十分過ぎるほどの時間が経過しています。
そこで祭司たち、またユダヤの人々は、
「いったいどうなっているんだ。」
「ザカリヤはどうしたんだ。」
「なぜザカリヤは戻って来ないのか。」
「もしかしたら神様に打たれたのでは。」
「おい。誰か。何とかしろ。おかしいんじゃないのか。」
小さな祈りを捧げる声は、次第につぶやきと代り、辺りは騒然となって来ました。
ザカリヤほどの熟練した祭司ならば、その手順を間違えるはずはありません。人々は、聖所において、ザカリヤに何かが起こったことに気づき始めました。
考えられることは、ザカリヤに、何か特別な神様の啓示が与えられて、それゆえこんなに手間取っているかも知れない、と言うことです。
多くの場合、神様は、人が静まって、一人でいるような時に、ご自身を現わされることが多いようです。ザカリヤの場合には、御使いですが。
主イエス様は、こう教えています。
『あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイの福音書 6:6)』
またイエス様は、良く退かれて祈っておられました。
『さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコの福音書1:35)』
現代人である私たちは、本当に忙しいのです。忙しいとは、「心が亡びる」と書きます。私たちクリスチャンも、主イエス様と同じように、一人静かに静まり、神様の声を聞くことが、絶対に必要です。
幸い、今現在、新約時代では、至聖所への分厚いカーテンが、神様によって上から下へと真っ二つに裂かれたままなのです。
それゆえ誰もが神様の御前に出ることが許されています。神様の御前に出ることとは、デボーションを指し示します。「日々のみ言葉」は、その助けとなることを願って、続けています。》