◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月22日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章27節】
6:27「しかし、いま聞いているあなたがたに、私はこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、四つの幸いを言われた後、四つの災いについて話されました。
一つ目は、『富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。』
二つ目は、『いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。』
三つ目は、『いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。』
そして四つ目は、『みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。』と言うことでした。
その後に、「しかし」と続くのが、本日の聖書箇所なのです。
ここから、話のターゲットは、弟子たちへと移ります。主イエス様の周りには、十二使徒たちがいました。そしてさらに六十人以上の内弟子がいたのです。その中に、マッテヤとバルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフもいたことは、間違いのないことです。
その弟子たちに対して、また主イエス様に従うクリスチャンたちに対して、主は語っておられるのです。
「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。」
これは、正直言いまして、難しいことであり、不可能なことです。実際にこんなことが出来る人は存在するのでしょうか。
長崎には、日本二十六人聖人が十字架にかけられ、槍にて突き殺された「西坂の丘」に、日本二十六人聖人記念館が建てられています。二十六人とは、六人のフランシスコ会の外人の司祭と修道士、そして二十人の日本人を指しています。
その中の「パウロ三木」は最後まで、このイエス様の言われた言葉を実践したのです。
イエズス会のルイス・フロイスの記録によりますと、パウロ三木は十字架の上で、押しかけた群衆に向かって、
「自分は罪状書きにあるようなフィリピン人でなく、れっきとした日本人である。私はキリスト教を信じたというだけで殺されるのである。この理由のゆえに私は命をささげることをいとわない。私はキリストの教えに従い、自分の処刑を命じた人(豊臣秀吉)と処刑にかかわったすべての人を許したい。」と、叫んだと言われています。
主イエス様は、十二使徒たちにこのように言われました。
『「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりも私を先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえって私が世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。」(ヨハネの福音書15:18~15:19)』
主イエス様のご命令は、何と難しく厳しいものなのでしょうか。もちろん私たちだけの力だけでは、絶対に成し得ないことです。
聖霊様の力と助けなくしては、「敵を愛し、憎む者に善を行なう」ことは、不可能なことなのです。しかし、私たちの中に、聖霊様は住んで下さっておられます。そうであるとしたら————。》