◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月28日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章34節】
6:34「返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。」
◎ショートメッセージ
《ここでイエス様が言われている「罪人」とは、一体誰を指しているのでしょうか。イエス様は、パリサイ人や律法学者たちと話していましたが、途中から彼らから目を離して、十二使徒と内弟子たちに教え始められたのです。
この時のイエス様の弟子たちは、みなユダヤ人でした。彼らは、すでにイエス様を信じていましたが、クリスチャンであってもユダヤ人であり、旧約聖書の教え通りに生きていたのです。
もちろんイエス様は、れっきとしたユダヤ人に生まれ、しかも紛れもなくダビデの子孫でした。イエス様はユダヤ人として十字架にかかられるのです。
その時には、ユダヤ人の王としてだけではなく、王の王、主の主として、すべての人の主として十字架刑に処せられるのです。
さて、話を本題に戻しましょう。
ユダヤ人にとって、自分たち以外の民族は異邦人でした。そして異邦人は、まさに罪人として扱われていたのです。それゆえ罪人とは、悪い事を行ない、牢屋に監禁された悪人だけを指すのではなく、取税人や羊飼いたちのように、ユダヤ人でありながら、その行ないによって、ユダヤ社会から追放された人々をも指していたのです。
この場合「貸した相手」とは、ユダヤ人同士を指しています。ここでも主イエス様は、哀れみを説いているのです。
もちろん銀行や、金貸しの仕事を否定しているのではありません。銀行も金貸し(今ではクレジット会社や、サラリーマン金融)も必要なものです。ただ、法外な利息を取ることは、聖書は決して認めてはおりません。
イエス様はこのようなたとえ話をされました。
『「このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。
それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。
ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」(マタイの福音書18:23~18:35)』
このたとえ話から、いかに仲間に対して思いやるべきかを教えています。そしてその報いは、天の父なる神様が与えて下さるのです。》