◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月27日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章32節~33節】
6:32「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。
6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、イエス様が弟子たちに語られた言葉について考えて見たいと思います。
マタイの福音書による「山上の垂訓」によりますと、
『「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイの福音書5:43~5:48)』と、イエス様が教えられたことが書かれています。
さて、ここでイエス様が言われたことを良く考えて見たいと思います。
今日の箇所だけを読みますと、イエス様は、自分を愛する者を愛したり、あるいは自分に良くしてくれる者に良くすることを、まるで否定しているかのように感じられます。しかしそうではありません。
自分を愛する者を愛すること、そして自分に良くしてくれる者に対して良くすることは当然である、と言われているのです。
またそれをすべきなのです。特に家族に対して、そして友人に対して。
イエス様が言われた、
「罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。罪人たちでさえ、同じことをしています。」とは、極悪犯や悪人を指しているのではなく、まだ主イエス様を救い主として受け入れていない人々を指しています。
マタイでは、「罪人」ではなく、「取税人」や「異邦人」に置き換えられていることから、それが分かります。
つまりイエス様が言われることは、「取税人」や「異邦人」に対して、主にある弟子たちは、裁くのではなく、愛を持って、哀れみを持って接しなさい、と言うことなのです。イエス様は、そうなされたのです。
当時のユダヤ社会の背景では、取税人や異邦人は、人間扱いされておらず、「犬」と同じように考えられていたのです。
ユダヤ人は、今でも神様の選びの民であることは言うまでもありません。そして日本人である私たちは、彼らから見て「異邦人」にあたります。
イエス様は、ユダヤの人々に、民族意識よりも、主の弟子として、すべての人に対して、愛と良き行ないを持って接しなさい、と言っておられるのです。
このことは、十二使徒に対して、六十人以上の内弟子に対して、訓練されておられるのです。
しかしリーダーであるペテロが、そのことを真に理解するのは、まだまだ先のことです。イタリア隊百人隊長コルネリオに会うまでは。》