◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月30日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章37節】
6:37 「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、弟子たちに教えられ、弟子訓練をなされました。
その中においても、中心的な教えが、本日の箇所となります。
まず確認すべきことは、この時イエス様を囲んで、周りにいる人々です。イエス様の一番近くには十二使徒が。そしてさらにその周りには、六十人以上の内弟子たちが。おそらくイエス様を慕う多くの女性たちも、その中に加わっていたことと思われます。
そして、その近くにパリサイ人や律法学者たちが見張っており、その周りに一般のユダヤの人々がいたのです。これだけでもかなりの群衆になります。
さてパリサイ人や律法学者たちは、律法を研究し、どのようにしたら律法を守ることが出来るのか、具体的に適応例をあげて来ました。その内容を「ミシュナ」と言う「昔の人の言い伝え」として書き表わしたのです。それは、それで素晴らしいことです。特に自分たちが、それを守り実行することは、まさしく民の手本と言えるでしょう。
しかし、彼らは自分たちに適応するだけではなく、今度は一般のユダヤの人々に目を留め始め、人々の行ないを見張るようになってしまいました。人々が、自分たちの守っていることを破ろうものならば、裁いて、罪に定めて来たのです。
その根本には、自分たちだけが正しいと言う理念があるのです。
主イエス様は、「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」と教えられました。
イエス様のこの言葉の中には、まさしく「愛」が土台となっています。
しかしパリサイ人や律法学者たちは、主イエス様が「安息日」における彼らの守るべき行ないを、ことごとく破り、否定した為、イエス様を裁き罪に定め、なんとかして殺そうとしていたのです。このメッセージは、彼らに対して、また弟子たちに対して、そしてすべての人々に向けられているのです。
私たちが、誰かを裁き、罪に定める時、その根本には、自分は正しいという判断に基づいてするものです。これこそが、アダムとエバが「善悪の知識の木の実」を食べた結果なのです。つまり自分が神となるのです。自分を中心として考え、自分に都合の良いことは善であり、自分に都合の悪いことは悪となるのです。
裁かれるお方は唯一です。それは神様がなさることなのです。だからこそ、イエス様は、このように言われたのです。
「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」
私たちは、すべてのことを主イエス様に委ねるべきなのです。》