• 日々のみ言葉 2017年2月1日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年2月1日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書6章39節】
    6:39 イエスはまた一つのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。」

    ◎ショートメッセージ
    《ここで主イエス様が言われた「たとえ話」は、どのようなことを指しているのでしょうか。

     マタイの福音書によりますと、
    『そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。
    「あなたの弟子たちは、なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」
    そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
     「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。神は『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言われたのです。それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、その物をもって父や母を尊んではならない。』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先では私を敬うが、その心は、私から遠く離れている。彼らが、私を拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」
     イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
     そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」
     しかし、イエスは答えて言われた。「私の天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」(マタイの福音書15:1~15:14)』と、書かれています。

     このことから、イエス様が決して盲人を軽蔑していることではないことが分かります。なぜなら、イエス様が「盲人」とたとえた人々は、本当に目の見えない人たちではなく、パリサイ人や律法学者たちであるからです。彼らは、霊的には全く目が開かれていないのです。

     イエス様がエルサレムにおいて、生まれつき盲人であった青年をいやされた後、イエス様の所に、パリサイ人や律法学者たちが糾弾しにやって来ました。イエス様は、彼らにこう言われました。

    『「私はさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」(ヨハネの福音書9:39)』

     目の見えない者とは、生まれつきの盲人であった人であり、イエス様は多くの盲人の目を開けました。しかしパリサイ人や律法学者たちは、目が見えていても、霊的には盲目であることが、明らかにされたのです。

     当時のユダヤ社会において、最も宗教的と言われ、聖く正しい人物の代名詞でもあったパリサイ人や律法学者たちは、実は全く聖書を理解していなかったということなのです。

     もし彼らが、まことに旧約聖書を知っていたとしたら、ニコデモやアリマタヤのヨセフのように、救い主に出会うはずなのです。

     今でも「聖書」を知っていたとしても、その真理と奥義を理解していない人は大勢います。なぜなら聖書は、霊的書物であり、聖霊様と共に読まなければ、その人の霊には分からないのです。》

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