◇◆◇日々のみ言葉
2017年2月3日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章40節】
6:40「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じ箇所から考えて見たいと思います。
この言葉をイエス様は、十二使徒たちに、そしてその周りにいた、六十人以上の内弟子たちに語られました。もちろん終末の時代に生かされている私たちにも語られています。
まず、「弟子」の条件について考えて見ましょう。
イエス様は、かつて弟子たちにこう言われたのです。
『それから、イエスは群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
このような姦淫と罪の時代にあって、私と私の言葉を恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」(マルコの福音書8:34~8:38)』
イエス様の三年半に渡る公生涯において、前半では、おもにメシヤとしてのミニストリーが中心でしたが、それと同時に弟子訓練を始められ、後半においては弟子訓練が中心としてなされました。
十二使徒たちに、イエス様は数度にわたり、ご自身が十字架にかけられ、殺されることを預言し、教えて来ました。しかしこの時には、まだ十二使徒たちの目が、完全に開かれてはおらず、彼らは実際に十字架と復活を体験しなければ、理解することは出来なかったのです。
弟子の条件は、「自分を捨て、自分の十字架を背負ってイエス様について行く」ことなのです。
それは、まさしくすべてを捨てることになります。主イエス様だけを信じ、イエス様だけに従って行く人生。それが自分の十字架をかつぐことにつながります。
具体的には、すべての所有権を神様にお返しすることです。すべてが恵みです。私たちクリスチャンに与えられたものすべてが、イエス様が備えられ、与えて下さったものなのです。祝福なのです。
「タラント」のたとえのように、管理を任されているだけなのです。
そして私たちは、いつも栄光を主に、お返しするのです。
ペテロは、イエス様に言いました。
『「ご覧下さい。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」(マタイの福音書19:27)』
これがイエス様の弟子なのです。》