• 日々のみ言葉 2017年2月15日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年2月15日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書7章6節~8節】
    7:6 イエスは、彼らと一緒に行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。
    7:7 ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、お言葉をいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。
    7:8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」

    ◎ショートメッセージ
    《今日は昨日と同じ聖書箇所から、もう一度考えて見ましょう。

     イエス様は、カペナウムの町にある百人隊長の家に、ユダヤ人の長老たちと共に向かったのです。もちろん十二使徒や、他の内弟子たちもお伴したことは言うまでもありません。
     想像して見てほしいと思います。この奇妙な行列を。おそらくカペナウムのユダヤ人の長老たちを先頭に、主イエス様が。その後ろか周りには十二使徒。さらにその後には、内弟子たちや女性たち。向かう先は、ローマ軍百人隊長の家。この中に、ローマ人は一人もいないのです。

     そこへ百人隊長の家から遣わされて来た使いの人々が、向こうからやって来ます。せまい町の路地の上で、使いの一行と、主イエス様の一行は、出会い、しばし止まるのです。

     ルカは、「友人たち」とだけ書き記しています。もしローマ兵であったとしたら、「百人隊長の部下の兵士たち」と書くはずです。あるいは「兵士たち」と。
     また、ルカは「異邦人」とは書いてはいません。もしローマ人であったとしたら、こんな使いを果たしてするでしょうか。なぜなら、百人隊長は、イエス様のことを「主よ」と呼んでいるからです。
     ローマ人にとって、「主よ」と呼ぶべき人物は、皇帝カイザルだけなのですから。

     これも私の推測にしか過ぎませんが、「友人たち」とは、皆ユダヤ人ではないでしょうか。聖書には書かれていませんが、カペナウムの会堂管理人であったヤイロは、この時、ユダヤの長老たちの中に、あるいは友人たちの中にいたと、私は思うのです。

     カペナウムに残されたユダヤ人の会堂シナゴークの遺跡。しっかりとした建造物であったからこそ、二千年の時を経た今日でも、その跡を保っています。その会堂をユダヤ人の人々に建て、捧げたローマ人の百人隊長。
     おそらく彼に対する尊敬と信頼は、私たちの想像する以上を遙かに超えて、人々から愛されていたのではないでしょうか。

     ここに主イエス様が、「平地の説教」にて言われていたことが成就しています。
    『「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ルカの福音書6:38)』

    「与える」ことが先なのです。私たちが神様に、まず与えたとしたら、同じように神様も、与えて下さるのではないでしょうか。》

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