2017年3月11日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章33節~34節】
7:33「というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている。』とあなたがたは言うし、
7:34 人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言うのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、ルカの福音書7:33~7:34から考えて見たいと思います。
イエス様は、バプテスマのヨハネが何を食べていたのかについて語られました。
ヨハネは、ユダヤ人が普段主食にするパンも、また水の代りに飲むぶどう酒も、そして良く発酵し十分に熟成した古いぶどう酒も飲まないことを言われています。
それではヨハネは何を食べていたのでしょうか。
シモンの弟アンデレとゼベタイの子ヨハネは、バプテスマのヨハネの弟子でしたので、彼が何を食べていたのか知っており、また彼らを通してイエス様も知っていたのです。
ヨハネは、「いなごと野蜜」を食べていたのです。いなごとはいなご豆と言われ、野蜜とは蜂蜜のことであったようです。
さて次にイエス様はご自分のことを言われました。「人の子」とは、ご自身のことを指しており、パリサイ人や律法学者たち、そしてユダヤ人たちが良く知っている言葉だったのです。それはダニエル書に書かれた「メシヤ」を指しているのです。
イエス様は、決して禁欲生活をなさったのではないことが分かります。普通にユダヤ人の食べる物を食べ、普通に新しいぶどう酒も古いぶどう酒もたしなまれたのです。
公生涯に入る前には、愛する家族と共に、すなわち養父ヨセフと母マリヤ、そして四人の弟たちと二人の妹たちと、笑いに満ちた団欒の時を持っておられたのです。
そしてメシヤとして働きを始めた時にも、弟子たちと共に招かれれば、取税人の家であっても、また人々から罪人と言われている人の家であっても、共に食卓を囲み、普通に食べ、普通に「喜び」の象徴であるぶどう酒を飲まれたのです。
それを見たパリサイ人や律法学者たちは、イエス様のことを『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言っていたのです。
勘違いしないでいただきたいのですが、イエス様は過食されたわけではなく、また過飲されたわけでもありません。適度に楽しまれたのです。
今日の聖書箇所から、決して美食やアルコールの摂取を勧めているのではありません。
ヨハネは、「悔い改めのバプテスマ」を授けていましたので、まず自分自身が悔い改め、ある程度の断食を実行し、あえて美味しいものやぶどう酒を、口にしなかったと考えられます。
しかしイエス様は、『福音』を語っておられたのです。福音とは良き知らせです。そして、病やわずらいをいやし、悪霊を追い出し、人々を自由にし、解放されておられたのです。
その成された奇蹟やしるしこそ、まさに人々に取っては「救い」であり、「喜びの訪れ」でありました。
その喜びを共に分かち合うために、取税人マタイを始め、イエス様と弟子たちを自分の家に招き、食卓を囲むことは、当然、尽くせない感謝の気持ちの表われであったことでしょう。
イエス様によって、かつて罪人と言われていた取税人たちが、180度変えられた姿を見て、パリサイ人や律法学者たちはさらに妬みを抱きました。
それが、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言う中傷に表わされているのです。》