◇◆◇日々のみ言葉
2017年3月14日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章37節~38節】
7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
◎ショートメッセージ
《さて、あるパリサイ人が、一緒に食事をしたい、とイエス様を招いたので、イエス様はそのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれました。
当時のユダヤの食卓は、今のようにテーブルを囲んでイスに腰掛けるのではなく、土間の上に何人もが寝そべることの出来る、おそらく木で造られた大きな正方形の縁側のようなもので、真ん中に様々なご馳走が置かれて、そこに横に寝そべって食べるというものだったのです。
それゆえ客人は、靴を脱いで、足を後ろの方に出し、おそらく円形に並ぶように、食膳を囲んでいたと思われます。
言葉ではなかなか説明が難しいのですが、冬の山小屋では、こたつを中心とし、そこに皆の足が入るように、円形に布団を敷いて寝ます。その逆パターンと思ってください。
つまりこたつではなく、中心に様々なご馳走や果物やワインが置かれており、その食卓の方に頭を向けた状態と言うことです。
するとそこへ、その町にひとりの罪深い女が、家の中に入って来たと言うのです。
実は、これは良くあることなのです。有名なラビなどが、食卓に招かれますと、その話を聞きに、例え一般の人であっても、自由に家の中に入ることが許されていたからです。
しかし入って来たのは、ナインの町のひとりの罪深い女だったのです。
なぜ「罪深い女」であったことが分かったのでしょうか。パリサイ人シモンはその女がどのような女であるのか知っていたのです。
尾山令仁先生は、売春婦ではなかったかと言っています。そうであるとしたら、その服装や顔の様相は、普通の女性とはかなり違った派手な格好であったはずです。
さて彼女は、イエス様がパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知っていたとあります。そればかりではありません。誰がイエス様であるのか、知っていたことになります。なぜなら当時のユダヤ人たちの格好は、皆ほぼ同じであったからです。
イエス様も、一般的ユダヤ人の青年として、ひげを伸ばしておられました。着ている服も同じようなものなのです。
しかしその女性は、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながらイエス様の後ろに立ち、涙でイエス様の御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗り始めたのです。
まさしくこの女性は、個人的に主イエス様を知っています。彼女は、救い主イエス様と出会っています。そして罪が赦され、その心の傷も、あるいは病もいやされたのかも知れません。
それから彼女は、高価な香油を家に取りに戻り、そしてイエス様の所に戻って来たのです。女性に取って「香油」とは、花嫁道具にかかせない大変貴重なものであり、また最高のナルドの香油にいたっては、それこそ1グラムが、労働者一日の分の給料に匹敵するものでした。それを惜しげもなく、主イエス様の御足に降り注いだのです。》