◇◆◇日々のみ言葉
2017年3月15日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章39節】
7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
◎ショートメッセージ
《引き続き、ナインの町のパリサイ人シモンに招かれたイエス様と弟子たちの話です。
イエス様と弟子たちは、彼の家に入って食卓に着きました。すると、その町のひとりの罪深い女が、イエス様がパリサイ人シモンの家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って、シモンの家の中に入って来たのです。
そして泣きながら、イエス様のうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗ったのです。
パリサイ人シモンも、また十二使徒たちも、いったい何が起きたのかと、固唾を飲んで見守っていたに違いありません。
その時、シモンはこのように考えたのです。心の中で思ったのです。
「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」
ルカが書き記したこのシモンの言葉、いや思いは、実はイエス様以外に誰も分かるはずはありません。なぜなら普通の人は、人の心を読むことが出来ないからです。それがお出来になられるお方は、神の御子であられるイエス様ただお一人です。
それではなぜ、ルカはこのことを書き記すことが出来たのでしょうか。覚えておられますか。イエス様は弟子たちに、たとえを用いて弟子訓練されたことを。
群衆やユダヤの人々には、たとえだけを話されましたが、十二使徒たちには、必ずその解き明かしもされたのです。
この時にも、後ほどイエス様は弟子たちに、パリサイ人シモンの家で起こったことと、その語られた「たとえ」の解き明かしを交えて、なぜそのような話をするはめになった理由さえも、シモンの思いを伝えながら、解き明かしたに違いありません。
さてシモンの思いに目を向けて見ましょう。
シモンは、イエス様が聖書に預言された「預言者」だと思っていたようです。
『あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。(申命記18:15)』
預言者ならば、自分に触っている女が誰で、またどんなに罪深い女であったことを知っているはずで、それをそのままにさせているイエス様に対して、まったく失望し、気落ちし、それゆえイエス様に対して、軽蔑の念を抱いたと言うわけなのです。
その思いを瞬間的に読み取ったイエス様は、この後、パリサイ人シモンにとって、また弟子たちにとって、とても大切な教えを、たとえを用いてなされることになるのです。》