◇◆◇日々のみ言葉
2017年3月20日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書7章47節】
7:47 「だから、私は言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、その女のほうを向いて、シモンに言われました。
「この女を見ましたか。私がこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、私がはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。あなたは、私の頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、私の足に香油を塗ってくれました。」
この言葉を、パリサイ人シモンは、そして弟子たちは、どのように聞いていたのでしょうか。
シモンも、そして弟子たちも、このいかがわしい身なりをした女性が入って来た時から、そして主に、涙で御足をぬらし、髪の毛でぬぐい、御足に口づけし、御足に香油を塗った時から、良くない思いを抱いていたからです。
シモンは、「なぜこんな女が家に入って来たのだ。なぜこの者は、この罪深い女がするがままにさせているのだ。この者は預言者ではないようだ。預言者であったら、この女が誰で、どのような罪を犯したことを知っていて、とがめるに違いない。」と思ったのかも知れません。
そして弟子たちは、「自分たちの師であるイエス様に、こんなことをするとは、いったいどういうつもりなんだ。」と考えたとしても、何も不思議ではありません。
その時に、イエス様は言われるのです。
「この女を見ましたか。」と。
そして続けて、
「だから、私は言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
ここでイエス様の言われたことは、とても重要なことです。
「この女の多くの罪は赦されています。」
これは、すでに終了していて、今も続いていている過去完了形を示しているからです。
すでに彼女は、イエス様を信じ、罪を赦され、救われていることを、イエス様は言われておられます。
「というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
自分の犯して来た罪の重さの大きさを知っている者なら、その罪が赦されたその恵みの大きさに、救い主であられるイエス様を、本当に愛するはずなのです。
しかし、自分の犯して来た罪の重さが少ししか分かっていない者、あるいは自分はそれほど罪を犯していない、さらに言えば、自分はましな方で、むしろ正しい者だと自負するような者には、イエス様の赦しの恵みが分からないと言うことなのです。
多くの人々が救われ、クリスチャンになりますが、それと同じくらい多くのクリスチャンが、信仰を失い、再びこの世に戻って行ってしまいます。それが日本です。
その原因は、教会でしょうか。いいえ。一番大きな理由は、イエス様の十字架の重さ、その流された血潮と成された尊い御わざ、その恵みの大きさを知らないからです。
それがどれほどのことなのか、分からないのです。
それだから少ししか赦されない者は、少ししかイエス様を愛せないのです。》