◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月1日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章12節】
8:12「道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。み言葉を聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、み言葉を持ち去ってしまうのです。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は弟子たちの要望に応えて、解き明かしを始めました。
「このたとえの意味はこうです。種は神の言葉です。
『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。』
道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。み言葉を聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、み言葉を持ち去ってしまうのです。」
「種を蒔く人」とは、イエス様ご自身を指します。後には、十二使徒、そして現在の救われたクリスチャン一人一人を表わしています。
尾山令仁先生は、このように解説されています。
『これは、実を結ぶに至らない第一のタイプの人です。それはどういう人たちのことであるかと言いますと、み言葉を聞くと、すぐ後から悪魔がやって来て、そのみ言葉を奪って行ってしまう人たちです。み言葉を聞いても、読んでも、それがその人の心の中に入っていかない人たちです。
今まで読んだ本だとか、学校で教えられたことが、その人の心を固く閉ざしてしまって、神の言葉が入らないようにしている人たちです。
科学万能主義の迷妄に気がつかないで、そうした考えで心は道端のように固くされて、み言葉が心の中に入っていかなくなってしまっている人たちです。
つまり人間の知恵や力だけに頼って生きていこうとしている人たちであると言ってよいでしょう。それは、道端のように固い心です。』
ここからも分りますように、イエス様は、人の心の状態をたとえておられるのです。道端は、よく人や家畜などによって歩かれ、踏みしめられていますから、コチコチに固くなっています。
これは今のようなアスファルトの道路のことではなく、当時の砂利道あるいは土の道のことであることは、言うまでもないことです。
最も当時は、最高の土木技術を用いて、ローマ人によって作られたアッピア街道のように、今でも残るほどの素晴らしい道もあります。
この道と同じくらいに固い心の持ち主と言えば、間違いなくパリサイ人や律法学者たちでしょう。
彼らは自分たちが学んで来たことを、誇らしげにしていた為、どのような奇蹟を目の当たりにしても、イエス様を信じることが出来ませんでした。
エルサレム神学校の校長であったニコデモや、また議員の一人であったアリマタヤのヨセフは、み言葉に深く接していたため、霊的目が開かれて、救い主イエス様に出会い、信じることが出来たのです。
彼らの心を柔らかくしていたのは、やはりみ言葉であったのです。》