• 日々のみ言葉 2017年3月31日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年3月31日(金)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書8章11節】
    8:11「このたとえの意味はこうです。種は神の言葉です。」

    ◎ショートメッセージ
    《それではイエス様の語られたたとえ、「種」を「神の言葉」と読み替えて見ましょう。

    『神の言葉を伝える人が伝道に出かけた。語っているとき、道ばたに落ちた神の言葉があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。
     また、別の神の言葉は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。
     また、別の神の言葉はいばらの真中に落ちた。ところが、いばらも一緒に生え出て、それを押しふさいでしまった。
     また、別の神の言葉は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
    イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。(マルコの福音書1:20~1:23)』

     神の言葉は語られなければならないのです。では誰が語られるのでしょうか。この時には、まだイエス様はご健在です。よってイエス様が、人々に教えられ、神の国について語られました。
     では、その語られた言葉を誰が聞くのでしょうか。それはイエス様の教えを聞きに集まって来た人々です。

     しかしその中には、本当に主イエス様の教えを求めてやって来た者たちばかりではありませんでした。物見遊山に来た野次馬根性的な人々や、パリサイ人や律法学者たちのように、ねたみと中傷の為に来ていた者たちもいたのです。

     イエス様の、たとえられた「地」とは、何でしょうか。それは人の心です。心の状態を、たとえを用いてイエス様は表現されたのです。

     今でも同じです。
     神様の言葉は、現在では様々なメディアを通して語られています。昔以上に、人々が聞く機会は、非常に多く与えられているのです。
     しかし単に聞くことと、聴くこととでは、全く違うのです。

     イエス様が言われた「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言うことは、本当は、聴くと言うことを言われています。
     漢字をよく見てください。「聴く」と言う字には、耳だけではなく、目(横になっていますが)においても、そして心においても聞くことを表わしています。

     当時の人々は、何と幸せなことなのでしょう。直にイエス様の言葉を、その耳で、しかもイエス様の唇から語られた「神の言葉」を聞くことが出来たのですから。

     今の私たちには残念ながら、自分の耳でイエス様の御声を直に聞くことは出来ません。しかし助け主の聖霊様がおられます。
     そのお方は、私たちの中に住んでおられます。聖書に書かれた、主イエス様のお言葉を読む時に、内在された聖霊様が語ってくださるのです。

     その時に、私たちは、確かにイエス様の声を、直接聞いていることになるのです。

    「このたとえの意味はこうです。種は神の言葉です。」

     私たちの心の中に蒔かれた神様の言葉である、救いと赦しと永遠のいのちである種は、芽を出しました。
     そして今も、その芽は成長しています。芽生えたばかりの芽が大きくなるためには、水(聖霊様)の注ぎが必要ですし、肥料(聖書・神様の言葉)も必要なのです。そして日光(イエス様の愛)も必要です。

     それが十分に満たされていたとしたら、私たちはやがて大きな木となって行くのです。》

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