◇◆◇日々のみ言葉
2017年3月30日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章10節】
8:10 そこでイエスは言われた。
「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、イエス様の語られた「種を蒔く人のたとえ」について学んで行きます。
さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエス様に尋ねました。
マタイは、弟子の言葉を掲載しています。
『すると弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。
「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」(マタイの福音書13:10)』
するとイエス様は、
「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。」、と答えられました。。
まず「あなたがた」とは、イエス様に従って来た弟子たちのことです。あるいは広い意味においては、クリスチャン全員を指し示すと言っても過言ではありません。
クリスチャンに「神の国の奥義」を知ることが許されていると言うことは、どのようなことなのでしょうか。
それは、主イエス様の語られた言葉は、まさしく神の言葉であり、神の言葉は、霊によってでなければ、分からないと言うことなのです。
この時の弟子たちには、まだ聖霊様は降っておられませんでした。よって主イエス様が語られた「たとえ」を理解する為には、主ご自身からの解き明かしが必要であったのです。
主イエス様がオリーブ山から昇天された後には、今度は助け主、聖霊様が、解き明かされることになるのです。
次にイエス様が言われたことは、旧約聖書イザヤ書からの引用です。
「彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。」
イザヤ書によりますと、
『「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」(イザヤ書6:9~6:10)』と書かれています。
これはユダヤ人に語られていることなのです。
使徒パウロは、ローマの獄中において、ローマ在住の同胞ユダヤ人に、旧約聖書を用いて、主イエス様を伝えました。
使徒の働きによりますと、
『そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。
「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。
『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」(使徒の働き28:23~28:28)』
この預言が成就したからこそ、救いの御わざは全世界に広がって、日本にいる私たちが救われたのです。「聞く耳のある者は聞きなさい。」》