• 日々のみ言葉 2017年4月3日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年4月3日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書8章14節】
    8:14「いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。み言葉を聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《主イエス様は、弟子たちに解き明かしをされました。
    「このたとえの意味はこうです。種とは、神の言葉です。
     また、別の種はいばらの真中に落ちました。ところが、いばらも一緒に生え出て、それを押しふさいでしまいました。
     いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。み言葉を聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。」

     尾山令仁先生は、このように解釈しています。

    『次に、実を結ぶに至らなかった第三のタイプとして主が語られた人と言うのは、いばらの中に種が落ちた場合です。
     信仰生活を続けて行く時、いろいろなことがそこに起こってきます。主にしっかりと結びついていないと、成長して実を結ぶ生活には至りません。
     私たちはまだ生まれながらの性質を持っていますから、この世の常識に支配されたり、自分の経験や知識でものを考えようとしがちです。
     主だけに頼らないでいると、常識が頭をもたげてきて、この世の考え方に負けてしまいかねません。信仰とは非常識で良いのだと言っているのではありません。
     しかし、人間の常識となるものは、その人が得た知識や経験によって形造られていますから、絶対的なものでもなければ、本当に当てになるものではありませんですが、どうしても目に見える確かさを求めたがるのです。
     ですから、信仰にしっかり立っていないと、自分のちっぽけな常識の枠を越えたことが起こってくれば、当然思い煩うことになるのです。
     そうした常識で行動すれば、富の惑わしにも目がくらむようになりかねません。そしていろいろな欲望が心の中に入り込んで来て、み言葉よりも、欲望に誘惑を感じるようになるでしょう。
     この第三のタイプの人は、神様とこの世の両方に仕えようという、二心の人とも言えるでしょう。』

     私たちは、新約時代に、パウロの愛する弟子の中に、このタイプの人がいたことを知っています。

    『デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。(テモテへの手紙第Ⅱ4:10~4:11)』

     デマスは、使徒パウロの愛する同労者であったのです。彼の背信は、パウロにとっても、またその当時のクリスチャンの仲間たちにとっても、まさしく悲しい出来事であり、大きな痛手であったことでしょう。

     主イエス様はこのようにも言われています。
    『しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(ルカの福音書16:13)』

     私たちは、唯一まことの神様に仕えるのか、またこの世の神がもたらす富・名誉・地位・快楽に仕えるのか、選ばなければならないのです。》

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