◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月18日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章25節】
8:25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じ箇所からの学びです。
昨日は、イエス様が弟子たちを叱責したお言葉から考えて見ました。今日は、主イエス様の成された大いなる御業を目の当たりに見て、思わず発した弟子たちの言葉から考えて見たいと思います。
主イエス様が、ガリラヤ湖の嵐を静められた記事は、三つの共観福音書に掲載されています。
何度も言いますが、それは非常に大切な真理を教えていることになります。
マタイとマルコは、同じ訳文です。
「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
ルカも、ほとんど同じ内容です。
「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
どんなに科学が発達したとしても、自然現象をコントロールすることは、人間には出来ないことです。
ましてや、二千年ほども前の時代のことです。当時の人々にとって、自然の驚異は、今以上に、怖れを抱くものであったはずです。
十二使徒たちだけでなく、他について来た舟も、かつて経験したことのない風と波のうねりに、本当に死を覚悟したに違いありません。
その時、主イエス様は、「だまれ。静まれ。」と言われ、一瞬にして風と波を大なぎにしてしまいました。
その光景は、まさしく映画でも見ているような、瞬時の場面切り替えのごとくであったのです。
まさに救いの瞬間です。
弟子たちは、
「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
と告白するのですが、そこにはまだイエス様が神の御子であることの信仰告白は、見られません。
果たして自然が人の言うことを聞くのでしょうか。
この時点で、彼らは悟って良いはずではないでしょうか。このお方こそ、救い主、メシヤなるお方であることを。
主イエス様は、ここで弟子たちに何を教えられたのでしょうか。私は、ガリラヤ湖のプロの漁師であったペテロとアンデレ、ゼベタイの子ヤコブとヨハネのプライドを、徹底的に砕かれたと考えるのです。この四人の使徒は、大いに用いられるからです。
自分の経験や知識に頼るのではなく、主イエス様に、すべてより頼むことを教えられたのです。
主イエス様がともにいてくださるならば、どんな危険であっても守られることを教えられたのです。》