◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月19日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章25節】
8:26 こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
◎ショートメッセージ
《「向こう岸へ渡ろう。」と言われたのは、イエス様でした。
ルカの福音書とマルコの福音書では、「ゲラサ人の地」となっていますが、
マタイの福音書では、
『それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、(マタイの福音書8:28前半)』
と、まるで全く異なる場所のように書き記されています。
実は、デカポリス(十の町と言う意味)の一つに「ゲラサ」と言う町があったのです。そこに住んでいる人々が、ガダラ人で、「ゲラサ」に住んでいるから、ゲラサ人あるいはゲルゲサ人と呼ばれていたようなのです。
呼び名に不明瞭さはあるのですが、どの名前も通用していたことが分かります。
さて時刻は、おそらく夜が明ける頃になっていたと考えられます。十二使徒や、一緒にイエス様について来た舟の乗組員たちは、おそらく一睡もしていないと思われます。
所で、なぜイエス様は、あえて危険をおかしてまで、向こう岸に渡ろうと言われたのでしょうか。
それは、そこに神様の哀れみと恵みにおいて、主イエス様によって、救われるべき、傷ついた失われた魂があったからなのです。
主イエス様は、父なる神様との親しい交わりと祈りの時を通して、異邦人の町ゲラサへ、弟子たちと共に舟で、反対側から渡って来られたのです。
なぜなら、そこには、大きな問題があったからです。その地方に住む人々や、商売や旅行などで、その場所通り抜けようとする旅人や隊商の人々に取って、由々しき障害があったからです。
その障害とは、レギオンと言う悪霊どもに取り憑かれた人が、ゲラサの町近くの墓場に住んでいたことです。
後ほど分かることですが、その男には家族がいました。もしかたら、その家族の願いと祈りによって、父なる神様が、御子イエス様を、その男のもとに遣わされたとも考えられるのです。
今でもそうです。取り成しの祈りこそが、神様を動かすことになるのです。真剣な祈りが積み重ねられた後、神様が、最も良い時に、そして最高のタイミングを持ってご介入なされることになります。
明日から、いよいよレギオンと主イエス様の戦いに入ります。》