◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月25日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章34節~35節】
8:34 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
◎ショートメッセージ
《そこの山腹には、飼われていた豚の大群がいたのです。男の人に取り憑いていた悪霊どもレギオンは、イエス様にこう願ったのです。
「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
イエス様がそれを許されたので、汚れた霊どもはその人から出て行って、豚に乗り移りました。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、おぼれてしまったと言うわけです。
二千匹の豚を飼っていると言うことは、羊飼いではなく豚飼いが何十人もいたことが分かります。正確な人数は分かりませんが、突然豚が狂いだし、そしてガリラヤ湖に向かって走り出した時、豚飼いたちは、何が起こったのか分からず、何とかして豚の暴走を止めようとして、奔走したに違いありません。
しかし、彼らには何の手立てもなく、ついに豚の群れは、次から次へと一匹残らず、湖に飛びこんで、溺れてしまったと言うわけです。
豚飼いたちは、二千匹もの豚を失ってしまいました。彼らは恐れおののいて、ガラサの町にいる豚の持ち主のもとへ、その様子を走って伝えに行ったと思われます。
余談ですが、ガリラヤ湖に二千匹もの豚の死骸がプカプカと浮いている光景を思い描けるでしょうか。その死骸を誰が引き上げて始末するのでしょうか。豚飼いたちや、ガラサの町の人々ではないでしょうか。
私は、ここを読む時に、なぜイエス様は、レギオンに豚に乗り移ることを許可されたのかと考えてしまうのです。
ガラサの町は、日本の黒豚のように、豚を特産として潤っていたのではないでしょうか。
豚飼いの話を聞いて、ガラサの町から大勢の人々がその有様を見にやって来ました。
すると彼らが見たのは、イエス様の御元に、その地方の大きな問題であった悪霊に憑かれた凶暴な男が、何と着物(服の意味)を着て、跪いていたのです。一見して、彼が正気であり、以前の彼のようであることが分かります。
所で、彼はどうやって着物を手に入れたのでしょうか。我に返って、悔い改めた彼が、裸のままで、町や村に買いに行ったのでしょうか。おそらくお金は一銭も持っていなかったに違いありません。
もちろんそんなことはあり得ないことです。その男が近づいて来ただけで、皆逃げ出したのですから。
イエス様が、着物を用意されたのです。イエス様が、奇蹟によって着物を創造され、彼に与えられたのです。
そうです。あの時のアダムとエバのように。しかしこの時には、動物の犠牲ではなく、無から有を生じられたと私は思うのです。
おそらくイエス様が用意された着物は、ボロボロの古びたものではなく、まっさらの全くの新品の着物であったに違いありません。
だからこそ、人々は恐ろしくなったのです。
明日も同じ箇所から考えて見たいと思います。》