◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月27日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章36節~37節】
8:36目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
8:37ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちの所から離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
◎ショートメッセージ
《豚を飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせました。
ゲラサの町の人々が、この出来事を見に来て、イエス様のそばに来たところ、イエス様の足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていたのです。
悪霊に憑かれていた人の救われた次第を、目の当たりに目撃していた人たちは、いったい何が起こったのか、ゲラサ地方の人々に、詳しく知らせたのです。
その話を聞いたゲラサの町や、周辺の村々の人々は、みなすっかりおびえてしまったと言う訳なのです。
マタイの福音書によりますと、
『すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。(マタイの福音書8:34)』と書かれています。
町中の者がイエス様に会いに出て来た、と言うことは、その町の権力者も当然いたことは間違いないことでしょう。そして町の代表者が、イエス様にお願いしたのです。
「どうか、この地方から立ち去って下さい。」と。
ところで、一体彼らは何を恐れていたのでしょうか。マタイもマルコもルカもその理由を詳しく書いていません。
よって推測するしかありませんが、二千匹もの豚は、今現在においてでも、相当の価値があるものと思われます。私なんかは、一体どれほどのロースカツ、そしてヒレカツが出来るのだろうか、と考えてしまいます。
尾山先生は、「ゲラサの人々は、目先のことしか見えなかった。」と解釈されています。私の推測は、ゲラサは養豚で豊かになった町だと思うのです。そして他の場所にも、何千匹もの豚がいたとしたら、どうでしょうか。その豚たちも、失いことになったとしたら。それゆえ、悪霊に豚に乗り移る許可を与えることが出来るイエス様を恐れたのではないでしょうか。
本来ならば、誰もその側を通れないほどの凶暴な男たちを正気に戻し、その男たちと共に、ゲラサの町を救われたイエス様に対して、感謝の気持ちを伝えることが、普通ではないでしょうか。
しかし、その町の人々が望んだことは、イエス様に去っていただくことだったのです。 その男たちの他に、町の人々の中には、重い病気の人、目の見えない人、耳が聞こえない人など、障害を持って、苦しんでいる人々は、大勢存在していたのに違いないのです。そしてその人たちは、ガリラヤ湖の岸辺には、来ることが出来ませんでした。
その人たちの癒しや解放、救いのチャンスを、町から出て来た人々は、無くしてしまうことになったのです。イエス様は、乗って来られた舟に再び乗られ、戻って行かれました。
しかしイエス様は、そのような状況であったとしても、救いの道を残して去って行かれたのです。そのことについては、明日また考えて見たいと思います。》