◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月30日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章41節~42節】
8:41するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。
8:42彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。
◎ショートメッセージ
《さて、イエス様がガリラヤ湖の向こう岸にあるデカポリスのゲラサの町から帰られますと、カペナウムの群衆は喜んで迎えました。何とみなイエス様を待ちわびていたからと言うのです。
昨日にも書き記しましたが、ゲラサの町の人々は、イエス様によって大きな恵みをいただいたにも関わらず、イエス様に立ち去るよう願い出たのです。
それゆえイエス様は、いやしや奇蹟のミニストリーをなされず、舟に乗って湖を渡って戻って来たと言うわけです。時刻はすでに昼頃になっていたかも知れません。
さて、イエス様がカペナウムに戻って来られるのを、真剣に待っていた一人の人物がいました。それがヤイロと言う、カペナウムの会堂管理人でありました。
カペナウムには、大きなユダヤ人の会堂シナゴークがあったのです。今でもその遺跡が残っており、二千年ほど前に、イエス様がメッセージやいやしの奇蹟をされた同一の場所であることは、間違いないことです。
その会堂管理者と言えば、それ相当の地位と権威があった者であることは、自ずとうかがえます。
ヤイロには十二歳ぐらいのひとり娘がいました。しかも死にかけていたのです。父親にとって、もうかけがえのない、大切な、大切なひとり娘なのです。
ヤイロは、カペナウムのユダヤ人の指導者として忠実に神様と同胞に仕え、そして忠実に律法を守って来たに違いありません。それなのに、なぜこのような試練が襲って来たのでしょうか。
イエス様の帰りを、今か今かと待っていたヤイロの気持ちは、それはそれはいかばかりであったでしょう。
彼はイエス様と顔見知りでした。なぜならイエス様は、何度もカペナウムの会堂で教えられていたからです。もしかしたらすでに信仰を持っていたかも知れません。
ヤイロは、イエス様に、自分の家まで同行して下さるよう願い出たのです。イエス様は彼の願いを聞き届け、彼の案内のもとに、彼の家に移動し始めました。すると群衆も同じく、一緒に移動し始めたのです。
これから、大いなる二つの奇蹟がまさに起ころうとしていたのです。》