◇◆◇日々のみ言葉
2017年6月28日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章61節~62節】
9:61 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」
9:62 するとイエスは彼に言われた。「誰でも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」
◎ショートメッセージ
《一昨日から、イエス様と三人の人の話を学んでいます。今日は、その最後となります。
最初の男の人は、自分から弟子志願をしました。
『さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(ルカの福音書9:57~9:58)』
この後、彼がどのような決断をしたかどうかは、書かれてはいません。
イエス様は、「人の子には枕する所もありません。」と言われましたが、実際には、ガリラヤ宣教の拠点であったカペナウムには、「自分の家」として愛された、シモン・ペテロと弟アンデレの家がありました。特にシモンの姑は、イエス様を何時でも快く持て成したのです。
そしてエルサレムに巡礼された時には、ベタニヤにあるマリタとマリヤの姉妹とその弟ラザロの家に寝泊まりしていました。イエス様は、この姉弟を愛しておられたのです。姉マルタが、イエス様に最高の持て成しをしたことは、間違いないことです。
さて、イエス様は、彼の真意を測られたと思われます。
次に、二人目の男の人は、イエス様の方から「私について来なさい。」と言われたのです。
『イエスは別の人に、こう言われた。「私について来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(ルカの福音書9:59~9:60)』
これは、今元気でいる父親が死んでから、その葬儀を済ませたのなら、イエス様の弟子になっても良いと言う、いわゆる引き延ばしであり、あるいは断る為の言い回しです。
そして三人目の男の人は、これもまた、イエス様の方から「私について来なさい。」と声を掛けられたと考えるのが妥当です。
それに対して、「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」と答えたのです。
家族にいとまごいをすること、別れの挨拶をすることを、イエス様は否定しているのではありません。大切なことは、イエス様に言われたことに、すぐに従うこと。従順することが求められているのです。別に挨拶は、後からでも出来ることだからです。
「家」とは、この世でもあります。イエス様に従って行く者は、まさしくすべてを捨ててイエス様に従うことを求められているのです。しかも、すぐにです。ただちにです。
だからイエス様は言われたのです。
「誰でも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」これこそが、結論です。
結局、この三人とも、イエス様の弟子になることは出来なかったと私は考えます。》